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平成十五年五月廿日
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Aki_Mouri_Clan Tour
陶隆房謀反ルート及び防長毛利氏史跡往還記
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東萩駅でバスを降り、駅前のレンタサイクル店へ。 一泊二日1000円を勧められ、一もニもなく応諾。 荷物を預かってもらう。 上図の赤い線に沿って南下する。 前原一誠の旧宅は閑静な佇まいの中にある。 維新政府に楯ついた反逆者の家であるが、この人物への地元の視線は優しいようである。 そう云えば前原という姓は、備後国人・馬屋原(まやはら)の訛ったものだと聞いた事がある。 古き良き条里の一角、喫茶店にして開放している旧宅があり、観光客が屯していた。 ああ、私も終に目いっぱい観光客である。 大通りのモス・バーガーで新製品のセットを注文し、930円の豪華な昼食である。 その後、松本川の河岸を快走する。 どこまでも良い天気だ。 「思ったより遠いな」と感じながら、松本川から人工の藍場川を引き込んだ道に入り、 湯川家住宅に入る。
隣は桂太郎の生家であった。 やはり藍場川が庭を通り抜けている。 庭の水は溶岩で堤を築いていた。 桂家担当のガイドさんによると、 指月山は昔は火山だったので、 築城の際、溶岩が大量に切り出されたので、これを引き取って活用したものだ、と。 が、築城時には藍場川は無かったので、辻褄が合わない。 (笠山の溶岩ではないか) 藍場川の流れる路地を進み、少し外れて山県有朋の生家跡を見る。 空き地に碑が立っている。 橋本川に近く、余り上品な区画ではないようだ。 明治の功臣たちは、多く萩藩の下級武士たちであった。 不思議な程、隣近所である。
更に藍場川に沿って進む。 水の上をツツジの花弁が浮かんでいたり、 鴨やアヒルが遊んでいたり、いい感じだ。 その藍場川から分かれて久坂玄瑞宅へ。そして藩政改革で有名な村田清風宅跡地。 原っぱに碑と錆びたブランコ。 そして児玉家の長屋。近くには梨羽家。 かなり家臣の格が上がって来た。 萩城に近づいているという事だ。 この距離感が堪らない!鳥肌が立つ! 筆者は元就を研究している。元就が子孫に影響を与えても、子孫は元就に影響を与えない。 だから子孫について、これまで目もくれなかった。 しかし、こうして元就時代の家臣の後裔たちが軒を並べている条里を自転車で通り抜けていく事は、 何と楽しい事か。 まるで風景全体が、福原脳中のバーチャル・リアリティだ。
城から萩湾を望む。その後、本丸を出て外堀から天主を撮影。
西陽の関係でアングルが限られる。
指月山を背景に。この時、山に登る元気と時間がなくなっていた。
東萩駅から引き続き自転車で「萩本陣」へ。 チェック・イン。 さっそくロープウェーで露天風呂へ。 混雑する時間だからというのでロープウェーは山頂の展望台まで行かない。 山の中の遊歩道を一周するのを楽しみにしていたが、 二時間くらいかかる、今からだと日が暮れる、 そもそも六時以降、遊歩道を歩いてはいけない事になっている、 というので諦めざるを得なかった。 ひとまず汗を流したところで、また自転車で外出。 閉店した東光寺の脇を通過して、吉田一族(杉一族)の墓地、吉田松陰生家(杉家)跡、伊藤博文住居跡を訪問。 松陰神社に到着した時には、流石にとっぷり日が暮れた。 それから「長崎ちゃんめん」で夕食。 山口県小野田市に本社があるパオという会社が経営する。 福岡のリンガーハット「長崎ちゃんぽん」とは異なる。 広島市周辺にも店舗が多く、芸州人における知名度は高い。 今は亡き広島証券取引所の優良銘柄であった。 闇世の中、明倫館・木戸孝允邸・高杉晋作邸・野山獄などを歴訪して宿に帰った。 流石にくたびれた。妙徳の湯の大浴槽に浸ってバタンキュー。 目覚ましは3時にセットした。 荷造りだけして4時にフロントで一時外出すると云って鍵を預ける。 さすがに不審そうである。 未明の丘で自転車に乗る。行く先は笠山である。(つづく) | ||||||||||||||||
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