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平成十五年八月十一日
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Aki_Mouri_Clan & Japan Railway

JR



盆連休を利用してJR三江線宇都井駅(島根県羽須美村)を訪れた。

宇都井駅は駅ファンの間ではよく知られたタワー駅である。 ホームは地上から30メートルの高さにあり、116段の階段を上ってたどり着く。

三江線は、この区間の開通が最も遅く、宇都井駅の開業は昭和50年(1975)であった。 もともと三江線は江の川沿いに線路を敷設していたが、 70年代になるとトンネルの掘削技術が進歩してきた事もあり、 最後の未成区間だった浜原〜口羽間は、 トンネルと高架橋による徹底的なショートカットで建設を進めていった。 宇都井駅は、そんなショートカットの影響で生まれた駅と云える。 つまり、両方をトンネルに挟まれ、 そのトンネルをつなぐために高架橋を設置、 またその谷間に集落があるので、その住民のため、高架橋上に強引に駅を造ってしまったのである。

(宇都井駅の説明は を参考に要約しました)

しかし問題は「安芸・毛利一族HomePage」編集人・福原さだ俊が、 なぜその駅を取材し報告せねばならぬか、であるが、 それは以下に紹介する「吉川家文書」(第367号)の記事が発端である。

去廿四日御札到来、拝見仕候、仍又四郎殿御出陣由尤可然令存候、 特其外御同道之由候間、簡要候、於此方涯分可遂馳走候、可御心安候、 次高橋牢人衆宇次井・曽田へ狼藉儀、近来曲事候、 先日堅申遣候処、如此之段、不及是非候、重而聢可申遣候、是又可御心安候、 手遣砌急候間、如何被申入候哉、恐惶謹言、

七月廿七日

久盛(花押)
幸清(花押)

森脇縫殿允殿
吉河式部丞殿 御報

下線部の解釈は、

高橋牢人衆が宇次井・曽田において狼藉を働いた事は、近来まれなクセ事である。 先日、厳しく申しつかわしたばかりなのに、このような事が起こり面目ない。 重ねてシカと申しつかわすので、これまた御安心ありたし。

この書状は年次不詳であるが、 享禄2年(1529)、安芸の毛利氏が石見の高橋氏を滅ぼした後、 高橋の残党が「宇次井・曽田」で騒動を起こした事について、 尼子氏が吉川氏に謝罪し再発防止を誓うものである。

その「宇次井」は、 恐らく阿須那(羽須美村)と都賀(大和村)の中間に位置する「宇都井」であろうと考え、 早速その集落を踏査してみる事にしたのである。

阿須那から山越えして宇都井駅に到着するまでが、宇都井の集落であった。 狭い道路の脇に民家の屋根が見えたり、 もしくは玄関を目前に見ながら直角に左折するなど、 いつ自分の車が集落を破壊する戦車に凶変しても不思議はないな、 と思いながら降っていく。

評判の駅は7階建の階段上にあり、最上階の踊り場が待合室である。 時刻表を見ると一日四往復しか便がない。 終電は20:07。 丁度、時計は8時を少し廻っていた所なので、ホームに出てみた。 真っ暗で景色は見えない。 一両編成の電車がトンネルから出てきた。 一人の乗客が缶ビールを飲みながら寛いでいた。 宮崎駿のアニメ映画のワンシーンにありそうな風情であった。

待合室でコンビニ弁当を広げた。 珍しい駅ということもあってノートが沢山置いてある。 それを読んでいるだけで良い時間つぶしになる。

その日は野宿の場所を探していたが、 この駅には広い駐車スペースがあるし、 村の消防車の車庫に常夜灯が点灯し幾ばくかの明るさがあったので、 ここに泊まる事にした。 真夏の雨の蒸し暑さに難があったが、明け方は熟睡できた。

翌朝、再びホームに上る。 集落の景色の美しさに感動。 が、集落の戸数は指差して数えられる程のもの。 こんな集落を襲撃して意味があったのか?

ホームを歩いてみる。 フェンスはあるが、眼下を見ていると思わず脚がガクガク震える。 私は高所恐怖症だ。 (数年前、西城秀樹に一歩先駆けて軽い脳梗塞を煩い、 平衡感覚に自信がなくなった事もある)

三次行の始発列車がトンネルから姿を現す。一日4便のうち2便を目撃す!

朝の明るくなった景色を、再び阿須那方面へ向かって集落を縦走した。 集落は、駅から見えた部分より奥深く展開していた。 このような谷あいの集落は、 中世においては却って水利に恵まれた格好の農業生産地帯だったのかも。

しかし色々と疑問はある。

  • 「宇次井」が「宇都井」として、では、「曽田」は何処にあるのか? 近辺にそれらしい地名がない。
  • 高橋牢人が宇都井で狼藉を働いた事を、尼子は何故吉川に謝罪するのか? 当時、この地を接収したのは毛利では無かったのか?
  • 高橋牢人は不断どこに居住していたのか? 尼子が事前に「堅ク申シ遣ハシ」ていたとすると、 尼子は高橋難民を自領に受け入れていたのか?

    今後の研究課題である。




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