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平成十六年七月十五日
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Aki_Mouri_Clan Essay

(2)高安が原



晴賢自刃の地について史料間の矛盾を初めて指摘したのは、 文政十二年(一八二九)完成の『芸藩通志』であった。

「青海苔の上、山に入る十三四町、高安が原と云える地にて、全姜(ぜんきょう)自害す。 房顕手記には、大江と云う所にて自害す、とあり。 いずれ是なりや、今つまびらかにすべからず」

このように、高安が原説と大江説の対立がある事を指摘する。 高安が原は、厳島の南方・外海側の青海苔浦の谷奥にあり、大江は、厳島西方・内陸側の大江浦の一帯である。 編者の頼杏坪(らいきょうへい。頼山陽の叔父)は、両者のいずれが正しいかは不明としつつも、 「按ずるに、この役のこと、陰徳太平記・後太平記・西国太平記などに詳しけれど大いに異同あり。房顕手記を合わせ考うるに、陰徳太平記の記す所、多く合えり。されば陰徳、その実を得るに近し」と、 素朴な多数決で『陰徳太平記』に軍配を上げる。 が、これには以下の疑問がある。

@『陰徳太平記』は、 晴賢自刃の地を「青海苔の深谷を杳々(はるばる)と上り行く」辺りとするが、 「高安が原」という固有名詞は使っていない。 つまり『芸藩通志』の高安が原説は、必ずしも出典が明らかではない。 A『陰徳太平記』『後太平記』『西国太平記』は、 いずれも江戸中期の軍記物=歴史小説である。 一方『房顕』は、元就と同時代を生きた人(僅か二歳年上)の実録である。 両者の相違は、軍記物の作者に『房顕』の存在が知られておらず、 取材の対象としなかったからに過ぎまい。 従って、両者を三対一のウェートで評価するのは妥当でない。

その後、時代は下り、大正時代の広島大学文学博士・瀬川秀雄氏によって、以下の論が展開された。 (著書『吉川元春』注釈より要約)

「晴賢自刃の地を『房顕』は大江浦とし、 『陰徳記』等の諸書は青海苔浦とする。 棚守は当時の厳島社の神職なれば、その説は最も信用すべきだが、 『陰徳記』の香川正矩も毛利家臣・光景の後裔なれば、その説を一概に排斥できない。 また地域伝承として高安が原説も存在する。 私は現地を踏査し、その結果、大江浦の奥十七八町、青海苔浦の奥二十四五町の地点にある高安が原こそ、 『陰徳記』の記述に照らし、晴賢自刃の地として適当と決定した。 なお高安が原は青海苔浦と大江浦の中間にあるが、 香川には『青海苔の高安が原』であり、棚守には『大江の高安が原』だったのでは。 地名を広義に解釈すれば、三説の実体は同一である」


石碑

いわば、各説との矛盾が最小になる地点に結論を求めようとする「矛盾最小法」とも呼ぶべき推計法であり、 それは、サンプルとの誤差の自乗和を最小にする線形方程式を算出するという、 数理統計学における「最小二乗法」に似ている。

瀬川氏は、大正十年(一九二一)、自ら踏査した高安が原に「陶晴賢敗死之所」という石碑を設置され、 氏の説は、その後の事実上の標準となった。 が、一見、進化したかに見える瀬川説にも、本稿は、以下の疑問を提せざるを得ない。

@ 氏が精読された『陰徳記』は、著者が香川光景の後裔といえども、 光景に関し他書では知り得ぬ史実が『陰徳記』において確認できず、 『陰徳記』への信頼感は根拠不足である。 また、氏が最も信用すべきと自認する『房顕』について、精読の跡がうかがえない。 A高安が原説は本当に民間伝承か。 『芸藩通史』に何ら典拠なく紹介されたため、 これを地域伝承として扱うしかなかったのでは。 B瀬川氏の高安が原と『芸藩通志』高安が原は、同じ場所か。 『芸藩通史』十三四町(約一・五q)に対し、瀬川氏は二十四五町(約二・七q)である。 本稿筆者は、実際に石碑の地を訪れ、地図上の位置を確認したが、青海苔浦から直線距離でも約二qあり、 『芸藩通志』の十三四町の地点とは明らかに異なる。 D地名の広義な解釈は適切か。 大江浦の谷奥を源流まで遡上し、尾根筋を越え、 その反対側の谷筋にまで、大江の地名範囲が及ぶとは、常識的には考えにくい。

以上より、頼・瀬川両氏とも、その推論は何ら確証がなく、納得性も乏しい事が解った。 この考察を通して本稿筆者が得た教訓は、下記の通りである。

@ 先人の論考には、『陰徳太平記』 (晴賢自刃の条に限っては、ほぼ『陰徳記』の丸写し)の詳細な小説的描写が、 多大な影響を及ぼしている。 この際『陰徳太平記』の虚構性を白日の下に晒し、 誤った先入観を払拭するとともに、参照に値する史料を限定する必要がある。 A史料間の矛盾を近視眼的に取り繕うのではなく、 閉塞した空間で行われた奇襲戦について、 両軍の戦略思考にも注目しつつ、 開戦から終結に至る動態的な推移を正確に理解する事を目的として史料を精読し、 その解読のプロセスを通して、史料の虚実を分別すべきである。

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