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JR宮島航路開業100周年
宮島周遊クルーズ


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平成十六年七月五日
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某月12日、

集合場所は宮島口桟橋前であった。陵王の像が観光客を迎える。

「ななうら丸」は宮島へ向かう。稜線は、阿弥陀佛の、あるいは、横たわっている女性の顔の凹凸に見える人もある。

鳥居が見えた!

干潮時の厳島神社は、こうだ。

夕暮れ時の鳥居は、こんなだ。

塔の岡の経堂と五重塔〜掛け軸ふうにつき、スクロールされたし。

そんな時、島内では、鹿が眠そうに座り込んでいるだろう。

「ななうら丸」は七浦巡りへ出発! 「七浦巡り」とは、古くからの神事で、 弥山(みせん)を常に右に見るように約30qの島を巡り、七浦に祀られてある神社に祈願する趣向である。 本能寺の変の前年には、七浦巡りを何度となく執行した事を、棚守房顕は、覚書に記している。

島を右回りするので、座席は右端の窓際が上等席という事になるが、 この日の乗客は、雅な人々であり、争って右の席に殺到する事もなかった。 実のところ、景色にこだわり、写真を取りたいならば、デッキに出ずっぱりの方が良い。

まずは、七浦には含まれない長浜神社。 厳島神社の大鳥居の後なので、如何にもチャチに見える。無い方がいいのかもしれない。

長浜から聖崎までの海岸は、早くも奇観であった。 砂浜はあるが、谷から土砂が降りてきたのではなく、沿岸潮流が岬部を侵食し、砂が移動したのである。 ちょうど干潮の時間帯であり、 岸壁には、満潮と干潮の潮間帯が鮮やかに変色し、岬部には、海食洞がいくつも見られる。

大野瀬戸がわの北端、聖崎だ!先端部は蓬莱岩と呼ばれ、 干潮時には陸続き、満潮時は島となる。

聖崎を回りこんでいると石灯籠が視野に入る。

蓬莱岩に肉迫。一つの島に見えたが、実は二つの島と一つの岩のコンビネーションであり、 角度によって様々、表情を変える。この地形ひとつだけでも、厳島は霊的な雰囲気を醸し出している。

蓬莱岩と砂洲、反対側からの表情。

聖崎を回りこむと其処は杉の浦である。七浦の第一は、杉の浦神社である。(写真は陸上でのもの)

続いて包が浦。対岸から嵐をついて渡海した毛利軍が上陸した浜である。 今は高級なキャンプ場として整備されている。(写真は背後の山道から撮った)

同じく遠景。

包が浦を過ぎようとした時、突端の岩場(エビス岩)に包が浦神社がある。 これは七浦の番外である。海上から眺めるしかできないこの神社は、あるいは最近の観光用かとも思ったが、 「芸藩通志」所載である。

「ななうら丸」は、外海側へ大きく回りこむ。沖に浮かぶは絵ノ島。文字通り、絵になる。

外海側の最初の浜が、鷹ノ巣浦。ここは明治時代の砲台跡である。 施設は崩壊して砂に埋もれている。いや、砂ではない、こ、これは、

養殖の牡蠣殻のゴミ山だ!

牡蠣殻の山と崩れた砲台。どこかポエムだ。

その時、崖肌に二頭の鹿。鹿は島内のどこでもいるが、 外海側の浜は、観光客の喧騒とは無縁だ。が、人を恐れない。

絵ノ島をもう一度。これは鷹ノ巣中位砲台跡のある、展望の良い高台から撮影した。

同じく、大奈佐美島。

同じく、小黒神島。

七浦の二番・鷹ノ巣神社。但し、これは鷹ノ巣浦ではなく、桃岩を超えて入浜にある。

船は更に南下し、陸繋島を回って腰細浦へ。

ちいさくちさく七浦三番の腰細浦神社である。

地上からの近影。

この時であった。「ドーン!」音響とともに、船は時速ゼロ・メートル、ほぼ完全停止した。 岩礁に衝突したのだ。デッキで撮影に夢中だった私は、虚をつかれ1メートルほどふらついた。 客室では、短く鋭い悲鳴があがった。私は、船室一階への階段と、手すりと、その角へ向かってつんのめったので、一瞬、恐怖であった。

が、乗客も私も、案外、パニックにはならない。 私は、停止した状態こそチャンスとばかり、カメラを構えたが、程なく運行は再開された。

大砂利西の海食崖。ふもとに微かに海食洞も見える。

そして青海苔浦。陶晴賢は、山道を越えて、この浦に現われたと考えられている。 二宮覚書、森脇覚書など岩国系の史料に「青のり」と記されているからだが、棚守房顕記は「陶晴賢は西山峠を下って大江という所で自刃」と、自信たっぷりに書いている。

青海苔神社の近影。

青海苔海岸。海水浴日和でも人気はない。

養父崎(やぶざき)神社。岩船岳を源流とする谷川が作り出した養父崎浦は、非常に小さな浜で、 神社は、岬と、風化から取り残された巨石群の境に建てられている。 神事としての七浦巡りは、この辺りの沖合いで、「御烏喰(オトグイ)」という儀式が行われる。 沖に板を浮かべエサを置いて眺めていると、山奥から一対の夫婦のカラスが現われ、 エサをさらっていくのだ。警戒心の強いカラスにしては大胆な行動であり、 500年前の棚守房顕の時代から、世にも珍しい行事として特記されている。 不思議に成功率は高いようだが、 カラスが現われない時は、「七浦巡りの乗船者の中に不心得者がいるから」 という宗教特有のフォローがついている。現在でも毎年5月15日の年中行事だが、 ここ数年は、失敗続きであると言う。

厳島の最南端・革籠崎。回りこむ前の岸壁。

回り込んだ後の岸壁。

船は大元浦へ向かう。大野瀬戸の最も狭い箇所を通過。

乗客は網の浦で下船。

それというのも、岩礁に衝突した際、船底に穴が開いて浸水したらしい。 網の浦は、希望者のみ下船のはずだったが、安全のため、急遽、強制的に下ろされた。

私は、その後、島内を歩き回り地上からの写真を撮影した。 夕方、帰りの船に乗るとき、売店のおじさんが電話で「ケガ人が六人いたらしい」と電話で話しているのが聞こえ、 大変驚いた。宮島口桟橋では、全国紙の新聞記者が「ななうら丸」の乗客を探していたので、取材に応じた。 もっとも、それは17:30の事で、岡山のTV局では、既にニュースで放映されていたようである。

下船するとき、係員が「ケガされた方は病院までお連れします」と言っていたが、 その時、名乗り出た人はいないように思った。 後で聞くと、私と同じ2階デッキにいた人が何人か転倒してケガをした由。 島の方ばかり見ていたので、背後でそのような事が起きていた事に気付かなかったのである。

もっとも、ケガ人は全員、病院には寄らず、そのまま帰宅したそうで、 要するに、転倒した時のスリ傷程度だったと思われる。

「取り合えず、事故の影響で、チラシに書いてあった『舞楽鑑賞』というのがなくなったので、 料金の一部は返して欲しかったですね」 私は新聞記者にポツリとそう言った。JR西日本は、後日、参加費3,000円を全額返金してきた。

おそらく関係者の皆さんは、「金輪際、七浦巡りクルーズなんてするものか!」と痛恨の限りであろう。 実のところ、「七浦巡りを是非、商業ベースで実施して欲しい」と各方面に申し述べていたのは、 他でもない私自身でもある。

是非、気を取り直していただき、リベンジをお願いしたい。宜しくお願いします!松大汽船殿! (終わり)



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