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平成十八年八月十二日
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Tour
182006
(3) 長浜城歴史博物館

長浜は秀吉が開発した城下町である。 14時1分、駅を降りて改札を出ると、目の前に秀吉と石田三成の像がある。 私はJRのパンフレットの散策コースに従い、まずは豊国神社を目指した。

君が代も我が代も共に長浜の真砂(まさご)の数の尽きやらぬまで

秀吉は、今浜と呼ばれた地を、信長から一字あやかって、長浜と改名したらしい。 神社の手前に、新しい城下町の発展を祈念する竹中半兵衛の和歌を刻んだ石碑が立つ。

豊国神社は、隠れ切支丹めいた過去を持つ。1598年、秀吉の死に伴い、長浜の町人によって建立されたが、大坂の陣で豊臣家が滅亡すると、 秀吉の神格化が禁止され、神社は廃止された。しかし町人の間では、秀吉像を所蔵し崇拝する慣行があった。 1793年「えびす宮」造営を彦根藩に申請し許可されると、奥に秀吉の御神像を安置して、密かに祀ったという。 1846年には、秀吉の250回忌に当たり、 社前に石灯篭・釣灯篭の奉納があり、豊臣の「豊」の字を当てて「みのり」神社と呼び習わすようになった。 豊国神社という社名になったのは、1920年である。

加藤虎之助清正が、長浜城内の庭園のために献上した石を、秀吉はいたく愛でていたと伝えられ、虎石として、境内に置かれている。

さて豊国神社の次は、山内伊右衛門一豊屋敷跡を目指し、地下道へ潜り込む。地上へ出て公園町北交差点方向へ歩きながら、 屋敷跡を探したが、交差点まで達してしまったので引き返す。だが、それらしき場所には家が建っているだけである。 ちょうど住人が出てきたので尋ねると、地下道から出たばかりの所に標石があり、それしか痕跡はないのだそうである。

引き返すと確かに標石はあり、そう云えば見覚えはあったが、てっきり単なる道路標識かと思って見過ごしたのである。

時間の浪費を悔いながら、長浜城へ急ぐ。この城は、1983年、 2層の大屋根に望楼を載せた秀吉時代の様式を再現しようという市民の要望に沿って、 東工大名誉教授・藤岡博士の設計指導により建造され、長浜市長浜城歴史博物館として開業したものである。

入館料は400円だった。現在「北近江一豊・千代博覧会」と称し、市内の曳山博物館および大通寺と分業し、 大河ドラマに因んだ特別展示を展開中で、3館共通券が1,000円であったが、時間の関係上、長浜城に絞ることにした。

長浜城は歴史館という役割で、都合13回のテーマ展をつないで「一豊と秀吉が駆けた時代−夫人が支えた戦国史」という特別企画が行われており、 この日は、第10回「宇賀野長野家と一豊の母その2」が開催中であった。

が、展示室は2階と3階にしかなく、2階は平成18年度企画展「長浜駅舎と鉄道文化−敦賀長浜鉄道物語」という、大河ドラマとは無関係の企画も、 しっかりスペースを取っており、3階も、 湖北のあけぼの・信仰と伝統文化・秀吉と長浜・遠州美の世界・国友鉄砲鍛冶と一貫斎・近代化のあゆみといった常設展示が陣取っており、 「北近江一豊・千代博覧会」の占める割合は限定的である。というか、旅行が終わった今、思い出せるのは、鉄道の企画と常設展示ばかりで、 しかも長浜城築城ジオラマは故障中だったりして、肝心の一豊の母に関しては、何が展示されていたか思い出せない状況である。 むしろ、館内にあって、長浜城歴史博物館そのものを見掛け倒しの期待はずれと感じながら歩いていた事を思い出してしまう。 もっとも、脳梗塞の影響を引きずり、疲れやすい状態でもあったので、集中力が途切れていたような気もする。

5階の望楼は、靄がかかって肉眼で確認はできなかったものの、この方角に佐和山城や安土城が、 と思いを馳せながら、琵琶湖を遥かに望む眺めを楽しんだ。

1階のミュージアムショップでは、300円と高かったが、 表に蒔絵手鏡、裏地は古今和歌集の仮名文字を表向きに印刷して、おもて面の背景として透けて見える趣向のクリアケースを購入した。 クリアケースは、各所で収集したチラシや観光地図をバラけないように収納するのに便利で、ちょうど必要としていた。 またデザイン的には、室への手土産になり得る。

さて、長浜駅に戻る。売店でペットボトルの茶を購入。濃い味、何とか味など、伊右衛門シリーズしか置いていない。 …山内伊右衛門一豊…、なるほど。

電車は、北から到着する便が全て長浜どまりで、折り返し北上する仕組みのようである。 新潟あたりが大雨らしく、その影響で到着すべき電車が遅れている。 ホームで待っていると、他の乗客が私から距離を置こうとしている事に気づく。 おそらく強烈に汗臭いのであろう。 今回、荷物最小化の切り札として、下着のシャツは持参せず、上半身は濃色系のTシャツ2着で乗り切ろうと考えた。 その結果、Tシャツが直接、汗を吸収する役目を負い、外見上、背中がびしょ濡れである。 リュックを負うと背中の汗は更に加速する。

あるいは、トレードマークの毛利帽が、顰蹙を買っているのかもしれない。 広島では、いいのを持っていますね、とか、一所に写真を撮りたいとさえ云われる事もある「一文字三星(いちにみつぼし)紋」の野球帽だが、 秀吉のお膝元では、喧嘩を売っているようにも見えたのかもしれない。今回は、旅程を通して不評であり、 帽子を被ると、頭髪がむさ苦しくなる面もあるので、なるべく被らないように努め、軽量小型の日傘(但しフリル付)の方が活躍したのである。

15時39分の電車は、結局、8分遅れで発車。僅かに旅程のずれをはらみつつ、私は次に何処で降りるのであろうか。 それは次回のお楽しみ。

(つづく)

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