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平成十八年八月十二日
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Tour
182006
(4) 賤が岳

JR木ノ本駅(滋賀県伊香郡木之本町)に15時54分到着の予定が、電車の遅れで16時を少し回った。 しかし、駅前にタクシーが数台待機していたので安心する。 賤が岳(しずがたけ)にリフトで登ろうとしている。リフトは17時で止まる。駅からリフトの乗り場まで、歩けば2q強。 歩いても17時までには着こうが、後の行程を考え、タクシーを利用する事にした。

少し寄り道は出来る。木之本牛馬市跡木之本地蔵院の間の町並みを通りたいと、運転手に頼んだ。 狭い道を登りながら、牛馬市跡へ。馬宿平四郎という表札がかかっているが、入り口は閉まっている。 16時までは、展示か何かが見れたようだ。山内一豊が馬揃えの馬を購入したのが、この市だそうな。 彦根藩の制札が。

牛馬市から地蔵院の方向を望む。北国街道の石碑と、その向こうに山路酒造の店舗。 タクシーの運転手によると、地元では有名な酒造メーカーだそうな。

地蔵院は、石段の上にあるので、車中から見上げるように覗き込むと、行事があるせいか、 人が沢山いた。入園料100円の庭園があるが、タクシーを待たせたらそれ以上の出費になるので、 北国街道見物は、早々に切り上げ、リフト乗り場に向かう。

山の麓まで国道8号線を走った。走っているうちにメーターが上がり始め、到着してみると1,320円。 思ったより高い。 時間はまだ16時20分過ぎくらいである。 結果論だが、北国街道の古い町並みを徒歩でゆっくり楽しんだ上で、 駅に戻ってタクシーに乗るのが正解だったようである。

リフトは片道400円、往復だと760円。係員が暗黙の了解とばかり、往復券を売ろうとするので、 片道です、と警告した。戻るつもりはないのである。余呉湖を包むように縦走する賤が岳〜大岩山の尾根筋を北上し、 18時28分JR余呉駅で電車に乗るつもりなのだ。琵琶湖国定公園「余呉湖賤が岳山本山歩道」である。

窓口に置かれた「賤ヶ岳戦跡誌」という小冊子を200円で購入した。

リフトは珍しいものではないが、夏山を登るのにリフトを利用するのは初めてで、 歩いて登ることを想像すると、思わず鼻歌も出てくる。

降りたところが古戦場跡で、山頂の展望台へ向かおうとするところに、戦没者を慰霊する仏堂が設けられていた。 昔、麓の集落に点在していた慰霊の石仏が、山すその一角に合祀されることになり、後に1982年、賤が岳合戦400年を機に、この場所に移転された。

山頂は、秀吉軍の陣跡だったのか。小谷城下の田園が眼下に広がる。 その反対側は、余呉湖の景観が美しい。 滋賀県の、もう一つの湖だ。激戦の末に勝利した秀吉軍の兵士が、やれやれと座り込んでいる像が置かれている。 思えば、長浜から程近いこの地では、賤ヶ岳戦を徹頭徹尾、秀吉サイドから捉えている。 当時も、ここを戦場としたのは、秀吉方からすれば、地勢を熟知したホームグランドでの戦いだったのかもしれない。

余呉駅までは、山道を約4km。時は、ほぼ17時になろうとしている。迷子リスクも含め、少し急ぎ足に下山すべきであろう。 では!…おおっ。熊出没注意の看板だ!これはノーマークだった。そう云えば、昨年の盆連休の際に購入した熊ベルを持ってきていない。 仕方ないので携帯の着メロを流し続ける事に。

道は、よく整備され迷うことも無いし、多少アップダウンはあるが、緩やかな下り道である。 が、リュックにはノートPCを積載し、脳梗塞のせいか、足がふらつく。 今回、脚力は変化無いと思って、旅を決行したのだが、上り下りの道では、もう一つ筋肉に力が入らないようである。

賤が岳の戦いでは、秀吉方の中川清秀が、先鋒ともいうべき大岩山に陣していたため、 柴田勝家方の佐久間盛政の軍に討たれてしまった。土民たちが中川の首を洗ったとされる首洗いの池への分かれ道に来た。 池というより湧き水に近い。自然歩道からそれた事もあり、ここで服を着替える。といっても、上半身の汗を拭って、 Tシャツを着替えるだけである。下は綿パン1着のみで、着替えは持ってきていない。

またしばらく進むと、中川清秀の墓があった。大きく立派な墓であった。

清秀関係の観光に休憩の要素も加わり、ペースが一段と落ちている。気持ちは焦るが、からだは思うようには動かない。 駅まで1.6kmという表示が出た頃から、もうすぐのはずと思いながら、しつこく山中の尾根道が続き、 観音堂の裏手に出た時、いきなり山道が終わり、余呉の集落に到着した事を知った。

しかし、「高電圧線だから危険」と脅しながらロープが3本、張られ、それぞれ、 プラスチックの取っ手部分を着脱して出入りしないといけなかった。 面倒ではあったが、一応用心した。

川土集会所に出たのも予定通りだが、地図はリュックにしまったままで、周囲に線路や駅が見えないので、 少々パニックになったが、通りに住民がたむろしていたので、聞けばすぐ近くだった。 かくて18時20分頃、余呉駅に到着。私としては、電車の時刻には常に15分の余裕はないと危険だという考えがあったので、 不本意な到着時刻であったが、ホームで28分になっても電車が来ないので余計に慌てた。

無人駅なので、どうなっているのか解らないのだ。今日の予定は、敦賀駅で下車してヨーロッパ軒というカツ丼屋で夕食を取り、 その後、福井駅前のホテルに宿泊という段取りだったが、北陸方面は、一時は大雨だったらしく、運行停止になっているかも知れなかった。

目線の低いホームから、妖しく夕栄えする田園が広がっているのを眺める。 農道を走っていた軽トラックがゆっくり停止し、初老の農夫が現われ、いつどこから来たのか、年頃の娘が接近し、 何かを楽しそうに話している。

待っていた電車は、結局、10分と遅れる事なく到着した。 「まもなく一番線に電車が入ります」という自動起動のアナウンスが機械的に響いて。

(つづく)

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