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16:32、金沢を出発。次の駅が東金沢だった事は記憶しているが、その後の記憶がない。
どっぷりと眠りに落ちたのだと思う。
が、時々、眼も覚ましたのだと思う。
ホームに人が沢山たっていて、乗客の入れ替わりが多かった。
そこは高岡駅だった。
また意識が蘇ると、もっと大きな駅の構内にいて、もっと大部分の乗客が入れ替わった。
それが富山駅。富山県は、加賀100万石、前田家の領内であり、あえて独立の県である必要もなかったのでは、
と、かねがね思っていたが、さすが県庁所在地だけの事はあり、中核都市の風貌は十分である。
次に意識が戻った時、そこは、やはり大きな駅で、
どやどやと大勢の客が乗ってきて、車内は立ち客が出るほどになる。
私の隣には、割合、若々しいお爺さんと、小学4年くらいの孫娘が向かい合わせに座った。
次に目覚めた時は、先ほどと同じ駅で、改札のあるホームは、特急列車が負いかぶさるように停まっている。
私は隣のお爺さんに「ここは何処ですか」と聞くと、お爺さんは、その質問を訝しく思う様子もなく、
「富山ですよ」と答えた。「随分、長い間、停まっていますね。電車が遅れているのでしょうか」
「いや、この電車自体は、さほど遅れていませんよ。
ダイヤが乱れているのは、特急です。私らも、あそこに停まっている特急から乗り換えたんです。
この孫娘を田舎に帰省させるため、大阪の息子夫婦の家まで迎えにいって帰るところです」
お爺さんは、よほど孫娘が可愛いようである。
あとで時刻表を調べると、富山駅の定刻は、17:38着18:00発で、何事がなくとも、22分間も停まっていたのだ。
JR西日本のマイダイヤ検索では、乗換駅でない駅の停車時間は、表に出てこないので気づかないのである。
もっとも、22分間では、改札を出ても、町の散歩もロクにできないし、戻ったら座席に座る事もできないので、
じっとしている他はないが。
ようやく電車が動き出す。
お爺さんは、楽しそうに話しかけながら、さりげなく、孫娘の二の腕に手をかけたりするが、
すかさず孫娘は、「この、エロじじい!」と叱り付ける。
何も他人前で、そこまで云わなくても、そこまで云われないといけない事はしていないだろうに、
と、思わず同情するが、孫娘は、本気で嫌悪している様子でもない。
お爺さんは「次はアメリカー、アメリカーで御座いまーす」と車掌口調で孫娘に告げ、
18:20ごろ滑川(なめりかわ)で下車した。
そして、県境近くの泊(とまり)という駅を過ぎたのが18:45ごろ。
この日の日没時間は、泊付近で18:45、と事前に調べていたが、駅の窓から見える日本海は、
まだ結構あかるさを保っていた。
しかし直に外は真っ暗になり、私が座っている周囲も、人は疎らである。
私は「機は熟した」と思い、「百万石弁当」を開いて、多種少量のオカズを箸でつついた。
ふと、前々方の座席の、闇に包まれた車窓のガラスに若い女の顔が映っているが見え、
偶然、目が合った。
お互い、顔の一部しか見えていないと思うが、その後も、自分の周囲に向かい合わせの乗客がなく、
外の景色も真っ暗で、車窓は車内が反射して映っているばかりの状態だったので、
何かとガラス越しに彼女と目を合わせる事が多かった。
彼女は、同年輩の友人と向かい合わせに座って、
関西的なハイテンションでおしゃべりを続けていたので、
すわ観光客か、と思った。
私は、電車の長旅の退屈を紛らわす手段として、
ノートパソコンでゲームという事も準備したが、
できるだけ、近くの乗客と雑談をしたいと思っていた。
森鴎外「舞姫」にも、
「生面の客にさえ交わりを結びて、旅の憂さを慰め合う」という一節がある。
旅に出たら、面識の無い者同士が、おしゃべりをして時間を潰す事は珍しい事ではない、という訳である。
しかし今回の旅程では、
意外なほど、旅行者然とした乗客を近くに見かける事がない。
地元の生活上の移動をしている人には、
実用的な質問はできるが、雑談ははばかられる。
という意味で、観光客ふうの乗客を、
無意識に探していたかしれない。
とはいえ、この電車の終着駅は直江津で、到着も間もなくだった。
観光するとすれば、直江津周辺だろう。
もしかして、春日山城とか、新井の鮫が尾城?
少女向けコバルト文庫に、桑原水菜「炎の蜃気楼」という作品があり、
そこでは、北条氏から上杉謙信の養子になった上杉景虎が、
悲劇のヒーローとして主役を演じ、初代・米沢藩主・上杉景勝は、
謙信の跡目争いで、景虎を死に追いやった事から、
全面的に敵役、憎まれ役になっている。
いずれにせよ、
部屋に篭って読書することを好む、
少し毛色の変わった女子高生、女子大生、OLの間に、
隠然たる影響を及ぼし、
ために、上杉氏関係の史跡には、
通常の郷土史・戦国史マニアとは異なる客層が出入りしている。
それもありか。
しかし私自身は、乗り換えて更に先へ進む予定であった。
19:50過ぎ、電車は直江津に到着。立って降りようとしたら、
ちょうど、荷物を持って降りようとする前々方の彼女らと、
通路でかちあい、しばし双方が譲り合ったので、
「私が先に行きますよ」と、私は云った。
電車を降りた位置から、改札のある陸橋まで随分と距離があり、
そこへ至るまで、私の後ろで二人の会話が聞こえた。
その内容から察するに、二人は今年大学に入学した同郷の女子大生で、
示し合わせて帰省するところである。
ガラス越しに目が合った方の彼女のお父さんが、駅前に迎えに来ており、
もう一人も一緒に乗せてもらって帰る手はずらしい。
私も一旦、改札を出る。そこにブース状の待合室があるのだ。
実は、新潟に出張の折り、週末だったので、翌日、直江津に立ち寄り、
御館や春日山城など、私自身が悲劇のヒーロー・上杉景虎を偲ぶ旅を実施し、
23時代の寝台特急に乗るため、この待合室で延々と時間を潰した、
何とも懐かしい場所だ。
テレビがついていて、大河ドラマをやっていた。
売店もあり、エチゴビールを購入した。
20:11、直江津発の電車は、愈々閑散としている。
海べりらしい場所を通っていると、
「鯨波(くじらなみ)」など、電車に津波が押し寄せてきそうな駅名もある。
20:53、ついに私は下車する。そこは柏崎である。
駅前に、α1というロゴが目立つビジネスホテルが立ちはだかり、私はそこにチェックイン。
部屋にはズボンプレッサーが据え付けてあるが、
ホテルにコイン・ランドリーはなく、夜越しのクリーニングもない。
いっそ洗濯もしないことに。
前日のTシャツは洗濯済なので、明日、日中に着替える事をせぬなら、大丈夫である。
早々に寝る。
翌朝は、5:30にチェック・アウト。早いとは云えない。
その日の日の出時刻は5時である。
本来なら、4:30に起床して、柏崎総合高等学校まで散歩の予定だった。
琵琶島城跡である。
しかし、城跡の遺構は残っていない。
日の出から日没までデイライトを有効に使いたいのも山々だが、
途中でへばっては、元も子もない。
遺構のない城跡は捨てる。名よりも実を取る。
5:48の電車で柏崎を発つ。柏崎は、マリンレジャーでは有数の観光地だが、
私は結局、ホテルに泊まっただけだ。そして何処へ向かおうというのか、それは次回のお楽しみ。
(つづく)
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