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平成十八年八月十三日
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Tour
182006
(8) 日没

16:32、金沢を出発。次の駅が東金沢だった事は記憶しているが、その後の記憶がない。 どっぷりと眠りに落ちたのだと思う。 が、時々、眼も覚ましたのだと思う。 ホームに人が沢山たっていて、乗客の入れ替わりが多かった。 そこは高岡駅だった。

また意識が蘇ると、もっと大きな駅の構内にいて、もっと大部分の乗客が入れ替わった。 それが富山駅。富山県は、加賀100万石、前田家の領内であり、あえて独立の県である必要もなかったのでは、 と、かねがね思っていたが、さすが県庁所在地だけの事はあり、中核都市の風貌は十分である。

次に意識が戻った時、そこは、やはり大きな駅で、 どやどやと大勢の客が乗ってきて、車内は立ち客が出るほどになる。 私の隣には、割合、若々しいお爺さんと、小学4年くらいの孫娘が向かい合わせに座った。

次に目覚めた時は、先ほどと同じ駅で、改札のあるホームは、特急列車が負いかぶさるように停まっている。

私は隣のお爺さんに「ここは何処ですか」と聞くと、お爺さんは、その質問を訝しく思う様子もなく、 「富山ですよ」と答えた。「随分、長い間、停まっていますね。電車が遅れているのでしょうか」 「いや、この電車自体は、さほど遅れていませんよ。 ダイヤが乱れているのは、特急です。私らも、あそこに停まっている特急から乗り換えたんです。 この孫娘を田舎に帰省させるため、大阪の息子夫婦の家まで迎えにいって帰るところです」

お爺さんは、よほど孫娘が可愛いようである。 あとで時刻表を調べると、富山駅の定刻は、17:38着18:00発で、何事がなくとも、22分間も停まっていたのだ。 JR西日本のマイダイヤ検索では、乗換駅でない駅の停車時間は、表に出てこないので気づかないのである。 もっとも、22分間では、改札を出ても、町の散歩もロクにできないし、戻ったら座席に座る事もできないので、 じっとしている他はないが。

ようやく電車が動き出す。 お爺さんは、楽しそうに話しかけながら、さりげなく、孫娘の二の腕に手をかけたりするが、 すかさず孫娘は、「この、エロじじい!」と叱り付ける。 何も他人前で、そこまで云わなくても、そこまで云われないといけない事はしていないだろうに、 と、思わず同情するが、孫娘は、本気で嫌悪している様子でもない。

お爺さんは「次はアメリカー、アメリカーで御座いまーす」と車掌口調で孫娘に告げ、 18:20ごろ滑川(なめりかわ)で下車した。

そして、県境近くの泊(とまり)という駅を過ぎたのが18:45ごろ。 この日の日没時間は、泊付近で18:45、と事前に調べていたが、駅の窓から見える日本海は、 まだ結構あかるさを保っていた。

しかし直に外は真っ暗になり、私が座っている周囲も、人は疎らである。 私は「機は熟した」と思い、「百万石弁当」を開いて、多種少量のオカズを箸でつついた。 ふと、前々方の座席の、闇に包まれた車窓のガラスに若い女の顔が映っているが見え、 偶然、目が合った。 お互い、顔の一部しか見えていないと思うが、その後も、自分の周囲に向かい合わせの乗客がなく、 外の景色も真っ暗で、車窓は車内が反射して映っているばかりの状態だったので、 何かとガラス越しに彼女と目を合わせる事が多かった。

彼女は、同年輩の友人と向かい合わせに座って、 関西的なハイテンションでおしゃべりを続けていたので、 すわ観光客か、と思った。 私は、電車の長旅の退屈を紛らわす手段として、 ノートパソコンでゲームという事も準備したが、 できるだけ、近くの乗客と雑談をしたいと思っていた。

森鴎外「舞姫」にも、 「生面の客にさえ交わりを結びて、旅の憂さを慰め合う」という一節がある。 旅に出たら、面識の無い者同士が、おしゃべりをして時間を潰す事は珍しい事ではない、という訳である。

しかし今回の旅程では、 意外なほど、旅行者然とした乗客を近くに見かける事がない。 地元の生活上の移動をしている人には、 実用的な質問はできるが、雑談ははばかられる。

という意味で、観光客ふうの乗客を、 無意識に探していたかしれない。

とはいえ、この電車の終着駅は直江津で、到着も間もなくだった。 観光するとすれば、直江津周辺だろう。 もしかして、春日山城とか、新井の鮫が尾城? 少女向けコバルト文庫に、桑原水菜「炎の蜃気楼」という作品があり、 そこでは、北条氏から上杉謙信の養子になった上杉景虎が、 悲劇のヒーローとして主役を演じ、初代・米沢藩主・上杉景勝は、 謙信の跡目争いで、景虎を死に追いやった事から、 全面的に敵役、憎まれ役になっている。

いずれにせよ、 部屋に篭って読書することを好む、 少し毛色の変わった女子高生、女子大生、OLの間に、 隠然たる影響を及ぼし、 ために、上杉氏関係の史跡には、 通常の郷土史・戦国史マニアとは異なる客層が出入りしている。

それもありか。 しかし私自身は、乗り換えて更に先へ進む予定であった。

19:50過ぎ、電車は直江津に到着。立って降りようとしたら、 ちょうど、荷物を持って降りようとする前々方の彼女らと、 通路でかちあい、しばし双方が譲り合ったので、 「私が先に行きますよ」と、私は云った。 電車を降りた位置から、改札のある陸橋まで随分と距離があり、 そこへ至るまで、私の後ろで二人の会話が聞こえた。 その内容から察するに、二人は今年大学に入学した同郷の女子大生で、 示し合わせて帰省するところである。 ガラス越しに目が合った方の彼女のお父さんが、駅前に迎えに来ており、 もう一人も一緒に乗せてもらって帰る手はずらしい。

私も一旦、改札を出る。そこにブース状の待合室があるのだ。 実は、新潟に出張の折り、週末だったので、翌日、直江津に立ち寄り、 御館や春日山城など、私自身が悲劇のヒーロー・上杉景虎を偲ぶ旅を実施し、 23時代の寝台特急に乗るため、この待合室で延々と時間を潰した、 何とも懐かしい場所だ。

テレビがついていて、大河ドラマをやっていた。 売店もあり、エチゴビールを購入した。

20:11、直江津発の電車は、愈々閑散としている。 海べりらしい場所を通っていると、 「鯨波(くじらなみ)」など、電車に津波が押し寄せてきそうな駅名もある。

20:53、ついに私は下車する。そこは柏崎である。 駅前に、α1というロゴが目立つビジネスホテルが立ちはだかり、私はそこにチェックイン。 部屋にはズボンプレッサーが据え付けてあるが、 ホテルにコイン・ランドリーはなく、夜越しのクリーニングもない。 いっそ洗濯もしないことに。 前日のTシャツは洗濯済なので、明日、日中に着替える事をせぬなら、大丈夫である。

早々に寝る。

翌朝は、5:30にチェック・アウト。早いとは云えない。 その日の日の出時刻は5時である。 本来なら、4:30に起床して、柏崎総合高等学校まで散歩の予定だった。 琵琶島城跡である。 しかし、城跡の遺構は残っていない。 日の出から日没までデイライトを有効に使いたいのも山々だが、 途中でへばっては、元も子もない。 遺構のない城跡は捨てる。名よりも実を取る。

5:48の電車で柏崎を発つ。柏崎は、マリンレジャーでは有数の観光地だが、 私は結局、ホテルに泊まっただけだ。そして何処へ向かおうというのか、それは次回のお楽しみ。

(つづく)

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