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新潟駅では、乗り換え時間の間に、お土産を買っておこうと思ったのである。
というのが、私は、浪花屋というメーカーの柿の種チョコが好きだ。
柿の種をホワイトチョコなどにくるんだもので、一袋210円の単位で購入できる。
で、駅ビル1階の各種みやげ物コーナーを歩き回ったが、中々見つからない。
ついに、駅コンビニ付近の土産物店に、浪花屋の柿の種が置いてあったので、
「これのチョコレートでくるんだものは、販売中止になったのか」
と店主に尋ねると、「夏場は溶けるので、販売しないのだ」と教えられた。
これが解った時点で、電車の時間である。乗り換え時間を丸々浪費してしまった。
そそくさと4袋525円の浪花屋柿の種を購入し、
9:46の電車に乗る。
車両の数が少ない事もあり、満員だ。吊革につかまって外の景色を眺める。今回は、乗客がまばら過ぎたり、満員だったり、
中々旅情が湧きにくい。
10:20、新発田駅で下車すると、私は一目散に改札を抜け出、脇の観光案内所に駆け込んで、
「レンタサイクルは、空いてますか」と聞いた。
5台置いてあると聞いていた。「それは、JR東日本の扱いですので、改札口で駅員に尋ねてください」
そうであった。事前予約しようと観光協会に電話した時も同じ事を言われ、
JR東日本経由で新発田駅につないでもらった挙句、「予約は受け付けない」と断られた経緯があった事を思い出した。
取って返して、改札の駅員に尋ねると、やっている、と深くうなずいて、駅舎から自転車を手押しして持ってきた。
再び観光案内所へ戻り、ガイドマップを所望すると、ピンクのマーカーで経路を辿りながら、経路を詳しく、
ある意味、必要以上に丁寧に説明してくれる。ただ、最後に、「県病院の構内を通り抜け、
駐車場の裏からが近道」という、「今川義元、田楽狭間で昼食中」に匹敵する重要な情報を得た。
いざ出発。新発田駅の出発予定は、12:26。つまり、滞在時間は2時間6分である。
町の目抜き通りを直進。緩やかな上り勾配。
銀行で右折、裁判所で左折、やがて県病院入口、構内は、やたら人の往来が激しい。
裏手から展望の開けた所に出ると、はや、お濠が見え、櫓が見えた。二の丸の隅櫓である。
右に曲がると、濠の中州のような平地で、その先、土橋があり、新発田城表門があった。
私は、そこに自転車を停めた。
築城は、慶長3年、秀吉によって入封した溝口秀勝である。関が原後も転封はなかったようで、
着工は慶長7年、完成は承応3年。その間、52年間が経過している。
入場無料だが、入口受付で、「城下町新発田歴史の陽だまり散歩」(城下町新発田まちづくり協議会)を500円で購入。
後で読んでみると、お城の紹介は2ページだけ、あとは、お寺とお墓の紹介で、思わずエビぞってしまった。
まずは表門の右手、辰巳櫓に向かう。
平成11年、三階櫓とともに復元に取り組み、16年6月に完成したばかりである。
檜の柱や床の色が真新しかった。
2階に棟上の際の札などが奉じられている。復元の時、シャチと鬼瓦に願文が刻まれた。シャチにも鬼にも、「阿吽の呼吸」という時の「阿」と「吽(うん)」があるので、
合計4つである。即ち、「陰徳陽報」「克己復礼」「誠実公正」「至誠一心」である。それぞれ出典が異なるので、
誰がどういう価値観で4つを選んだか、という疑問は残る。
辰巳櫓のオリジナルの基台となる石垣なのか、角の部分が現れている。
表門の2階にも上がれる。私としては、靴の着脱が煩わしい。
町歩き用のスニーカーで、踵の後ろが深く、靴紐を緩めないと履けないからだ。
が、中に入る。
先ほどの辰巳櫓の模型や、初代藩主の肖像画。
郭のへりを固める土塁の上を歩いて、隅櫓に向かう。
隅櫓も、木材は辰巳櫓と同じらしいが、復元から年数を経ているので、「昔か」調に、真っ黒に古びている。
表門を出て、正面の休憩所でペットボトルを購入。
それから、濠に沿って自転車を走らせ、隅櫓の前まで戻り、二の丸のもう一方の辺に沿って、
奥まで走る。この辺の向かい側は、公園化されている。
隅っこには、三階櫓があるのだ。自衛隊の敷地らしく、中には入れないので、外からの撮影のみである。
が、城壁も真新しいし、何しろ形がよい。カメラ撮影や、写生する老人もある。
写真撮影は、ぎりぎり端まで行って、裏面を視野に入れる方がよい。
三階櫓もまた、復元の際、シャチと鬼瓦に願文が刻まれた。こちらは、3階の東西南北4つのシャチと、南北2つの鬼瓦である。
いわく「道学共創」「大地悠久」「万民安康」「凛呼不朽」「世世進展」「長久安全」
なお、二の丸隅櫓のは「家内安全」「商売繁盛」・・・これはウソ。
新発田城は、これまで。まだ時間が十分あるので、機動力のある自転車で、駅の南西を目指す。
通常の観光客は、城のあとは、藩の庭園である清水園と、その道向かいにある足軽長屋を訪問する。
ところで、その途中に広沢山宝光寺という曹洞宗のお寺がある。藩主・溝口氏の菩提寺である。
溝口氏は、加賀・大聖寺城から新発田に入封したが、大聖寺時代に開基した大麟寺を新発田に移転した。
2代目・宣勝が、寺号を浄見寺と改めたが、1709年、徳川綱吉が常憲院と号した事から、
音読して同音となるのを避けるため、宝光寺と改称し、今日に至っている。
私は総門をくぐったところで自転車を停め、山門横の鐘楼から廊下を渡って庫裏に向かい、
お寺の人にパンフレットを所望しようとした。200円との事だった。
が、庫裏では、檀家の誰かの法事の準備で大わらわとなっており、
通りかかった檀家の関係者の人を無理やり引きとめ、パンフが欲しいので取り次いで欲しいと哀願した。
5分ぐらいたって、お寺の夫人が面倒そうに現われ、ようやくパンフを入手した。
溝口家霊廟は、本堂の左手の墓所の先にあった。歴代藩主と、一部その奥方の墓が、
所狭しと並んでいる。中々まとまりのよい霊廟だが、昭和48年の都市計画で、心ならずも庭園が消滅し、
一部の墓塔も、配置を変更しているそうである。
私は一つ一つの墓にお経を唱えた。私の脳裏には、寺社などの史跡を訪問したら、往事、信仰の施設だった事を考慮すべきだ、
という識者の指摘があったし、今後、歴史を偲ぶ旅に出たら、
全ての歴史的人物に対し、敬意をもって霊前に対面しようと、方針を決めていたのである。
が、曹洞宗のお経には馴染みがない。真宗ではまずかろうと思い、「おん、あぼきゃ、べいろしゃのう・・・」という真言を唱える事にした。
いい加減なものである。
自転車に戻り、清水園に向かう。入園料は700円。足軽長屋と一体になっており、高い。時間は、余り無い。
自転車を立ち漕ぎすると、
道路から足軽長屋の室内がうかがえるし、対岸の清水園も、塀がないので、その片鱗が味わえる。
それにしても、観光客が妙に集中して賑わっている。
私は、その後、諏訪神社の前から、目抜き通りに戻った。
本町交差点付近に酒屋があるのをマークしていた。
「純米吟醸 〆張鶴(しめはりつる)」720mlを求めて。
新潟県の北辺・村上市の銘酒である。
この銘柄は、「お城巡りFAN」メーリングリストの投稿で認知した。
冷やしてあるものを取ってもらう。電車で楽しむ算段である。
私は店主に、小さい使い捨てカップか何かないか尋ねると、
ちょうどそれらしいものを3つ付けてくれた。
1,510円であった。
「貴方、もしかして吉田さん?」
「は?どうしてですか?」
「いえね、今日、吉田さんはバーベキュー・パーティで予定より参加者が増えたので、
お酒を買いにくるという事だったので」
「はあ。・・・私は旅の者です」
ついに駅に戻る。よい時間である。駅コンビニで昼食を購入。
12:26、乗車。さて、私は次に何処へ行くのか、続きは次回のお楽しみ。
(つづく)
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