メール - 共同掲示板 - 私有掲示板 - 推薦リンク - 唐傘リンク - カレンダー - ヘルプ - Top Page
平成十八年八月十四日
このページのアクセス:

Tour
182006
(10) 新発田城

新潟駅では、乗り換え時間の間に、お土産を買っておこうと思ったのである。 というのが、私は、浪花屋というメーカーの柿の種チョコが好きだ。 柿の種をホワイトチョコなどにくるんだもので、一袋210円の単位で購入できる。 で、駅ビル1階の各種みやげ物コーナーを歩き回ったが、中々見つからない。 ついに、駅コンビニ付近の土産物店に、浪花屋の柿の種が置いてあったので、 「これのチョコレートでくるんだものは、販売中止になったのか」 と店主に尋ねると、「夏場は溶けるので、販売しないのだ」と教えられた。 これが解った時点で、電車の時間である。乗り換え時間を丸々浪費してしまった。 そそくさと4袋525円の浪花屋柿の種を購入し、 9:46の電車に乗る。 車両の数が少ない事もあり、満員だ。吊革につかまって外の景色を眺める。今回は、乗客がまばら過ぎたり、満員だったり、 中々旅情が湧きにくい。

10:20新発田駅で下車すると、私は一目散に改札を抜け出、脇の観光案内所に駆け込んで、 「レンタサイクルは、空いてますか」と聞いた。 5台置いてあると聞いていた。「それは、JR東日本の扱いですので、改札口で駅員に尋ねてください」 そうであった。事前予約しようと観光協会に電話した時も同じ事を言われ、 JR東日本経由で新発田駅につないでもらった挙句、「予約は受け付けない」と断られた経緯があった事を思い出した。 取って返して、改札の駅員に尋ねると、やっている、と深くうなずいて、駅舎から自転車を手押しして持ってきた。 再び観光案内所へ戻り、ガイドマップを所望すると、ピンクのマーカーで経路を辿りながら、経路を詳しく、 ある意味、必要以上に丁寧に説明してくれる。ただ、最後に、「県病院の構内を通り抜け、 駐車場の裏からが近道」という、「今川義元、田楽狭間で昼食中」に匹敵する重要な情報を得た。

いざ出発。新発田駅の出発予定は、12:26。つまり、滞在時間は2時間6分である。

二の丸隅櫓 町の目抜き通りを直進。緩やかな上り勾配。 銀行で右折、裁判所で左折、やがて県病院入口、構内は、やたら人の往来が激しい。 表門 裏手から展望の開けた所に出ると、はや、お濠が見え、櫓が見えた。二の丸の隅櫓である。 右に曲がると、濠の中州のような平地で、その先、土橋があり、新発田城表門があった。 私は、そこに自転車を停めた。 表門

築城は、慶長3年、秀吉によって入封した溝口秀勝である。関が原後も転封はなかったようで、 着工は慶長7年、完成は承応3年。その間、52年間が経過している。 辰巳櫓 入場無料だが、入口受付で、「城下町新発田歴史の陽だまり散歩」(城下町新発田まちづくり協議会)を500円で購入。 後で読んでみると、お城の紹介は2ページだけ、あとは、お寺とお墓の紹介で、思わずエビぞってしまった。

堀部安兵衛 まずは表門の右手、辰巳櫓に向かう。 平成11年三階櫓とともに復元に取り組み、16年6月に完成したばかりである。 檜の柱や床の色が真新しかった。 2階に棟上の際の札などが奉じられている。復元の時、シャチと鬼瓦に願文が刻まれた。シャチにも鬼にも、「阿吽の呼吸」という時の「阿」と「吽(うん)」があるので、 合計4つである。即ち、「陰徳陽報」「克己復礼」「誠実公正」「至誠一心」である。それぞれ出典が異なるので、 誰がどういう価値観で4つを選んだか、という疑問は残る。

辰巳櫓のオリジナルの基台となる石垣なのか、角の部分が現れている。

初代・溝口秀勝 奉上棟 新発田城辰巳櫓復元工事 石垣内部構造

表門の2階にも上がれる。私としては、靴の着脱が煩わしい。 町歩き用のスニーカーで、踵の後ろが深く、靴紐を緩めないと履けないからだ。 が、中に入る。 先ほどの辰巳櫓の模型や、初代藩主の肖像画。

新発田城辰巳櫓復元模型 初代・溝口秀勝

郭のへりを固める土塁の上を歩いて、隅櫓に向かう。 隅櫓も、木材は辰巳櫓と同じらしいが、復元から年数を経ているので、「昔か」調に、真っ黒に古びている。

二の丸隅櫓に向かう途中の土塁から見下ろす風景 二の丸隅櫓の入り口

二の丸隅櫓と手前の砂州 向かいの土産店の堀部安兵衛像 表門を出て、正面の休憩所でペットボトルを購入。 それから、濠に沿って自転車を走らせ、隅櫓の前まで戻り、二の丸のもう一方の辺に沿って、 奥まで走る。この辺の向かい側は、公園化されている。

隅っこには、三階櫓があるのだ。自衛隊の敷地らしく、中には入れないので、外からの撮影のみである。 が、城壁も真新しいし、何しろ形がよい。カメラ撮影や、写生する老人もある。 写真撮影は、ぎりぎり端まで行って、裏面を視野に入れる方がよい。

三階櫓もまた、復元の際、シャチと鬼瓦に願文が刻まれた。こちらは、3階の東西南北4つのシャチと、南北2つの鬼瓦である。 いわく「道学共創」「大地悠久」「万民安康」「凛呼不朽」「世世進展」「長久安全」

二の丸公園 二の丸公園の石碑 三階櫓
なお、二の丸隅櫓のは「家内安全」「商売繁盛」・・・これはウソ。

三階櫓 三階櫓 三階櫓 三階櫓

新発田城は、これまで。まだ時間が十分あるので、機動力のある自転車で、駅の南西を目指す。 通常の観光客は、城のあとは、藩の庭園である清水園と、その道向かいにある足軽長屋を訪問する。 ところで、その途中に広沢山宝光寺という曹洞宗のお寺がある。藩主・溝口氏の菩提寺である。 溝口氏は、加賀・大聖寺城から新発田に入封したが、大聖寺時代に開基した大麟寺を新発田に移転した。 2代目・宣勝が、寺号を浄見寺と改めたが、1709年徳川綱吉常憲院と号した事から、 音読して同音となるのを避けるため、宝光寺と改称し、今日に至っている。

宝光寺山門 私は総門をくぐったところで自転車を停め、山門横の鐘楼から廊下を渡って庫裏に向かい、 お寺の人にパンフレットを所望しようとした。200円との事だった。 が、庫裏では、檀家の誰かの法事の準備で大わらわとなっており、 通りかかった檀家の関係者の人を無理やり引きとめ、パンフが欲しいので取り次いで欲しいと哀願した。

5分ぐらいたって、お寺の夫人が面倒そうに現われ、ようやくパンフを入手した。 溝口家霊廟は、本堂の左手の墓所の先にあった。歴代藩主と、一部その奥方の墓が、 所狭しと並んでいる。中々まとまりのよい霊廟だが、昭和48年の都市計画で、心ならずも庭園が消滅し、 一部の墓塔も、配置を変更しているそうである。

初代・溝口秀勝 2代・溝口宣勝
3代・溝口宣直 4代・溝口重雄 5代・溝口重元
6代・溝口直治 7代・溝口直温(左) 8代・溝口直養
9代・溝口直侯 10代・溝口直諒
清水園と足軽長屋の間の道と堀 私は一つ一つの墓にお経を唱えた。私の脳裏には、寺社などの史跡を訪問したら、往事、信仰の施設だった事を考慮すべきだ、 という識者の指摘があったし、今後、歴史を偲ぶ旅に出たら、 全ての歴史的人物に対し、敬意をもって霊前に対面しようと、方針を決めていたのである。

足軽長屋 が、曹洞宗のお経には馴染みがない。真宗ではまずかろうと思い、「おん、あぼきゃ、べいろしゃのう・・・」という真言を唱える事にした。 いい加減なものである。

清水園入り口 自転車に戻り、清水園に向かう。入園料は700円。足軽長屋と一体になっており、高い。時間は、余り無い。 自転車を立ち漕ぎすると、 道路から足軽長屋の室内がうかがえるし、対岸の清水園も、塀がないので、その片鱗が味わえる。 それにしても、観光客が妙に集中して賑わっている。

清水園を外から覗く 私は、その後、諏訪神社の前から、目抜き通りに戻った。 本町交差点付近に酒屋があるのをマークしていた。 「純米吟醸 〆張鶴(しめはりつる)」720mlを求めて。 新潟県の北辺・村上市の銘酒である。 この銘柄は、「お城巡りFAN」メーリングリストの投稿で認知した。

冷やしてあるものを取ってもらう。電車で楽しむ算段である。 私は店主に、小さい使い捨てカップか何かないか尋ねると、 ちょうどそれらしいものを3つ付けてくれた。 1,510円であった。

「貴方、もしかして吉田さん?」

「は?どうしてですか?」

「いえね、今日、吉田さんはバーベキュー・パーティで予定より参加者が増えたので、 お酒を買いにくるという事だったので」

「はあ。・・・私は旅の者です」

ついに駅に戻る。よい時間である。駅コンビニで昼食を購入。 12:26、乗車。さて、私は次に何処へ行くのか、続きは次回のお楽しみ。

(つづく)

(go to) 0 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10(previous) | 11(this page) | 12(next) | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 | 20 | 21 |


安芸・毛利一族HomePage
Copyright 2001-6 Masatoshi Fukubara. All rights reserved.
当サイトの著作権は 福原雅俊 が有します。
また、本頁の背景画像は 「お城巡りFAN」 岡泰行さんのご厚意により、福原雅俊に使用許諾されたものです。
当サイトの内容をいかなる方法に於いても「無断で」改変、複製、転載する事を禁じます。