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15:44、米沢駅着、しばらく観光案内所にいて、駅舎を出、ロータリーの端にある駅レンの建物へ。
軽自動車(スズキ「ワゴンR」)の登場。
乗り込むや、カーナビの動作確認。
マイカーとは仕様が異なっているが、幸い、余り悩むことなく目的地をセット。
かくて、16時前後、駅前の目抜き通りへ発進である。
途中、相生橋を渡る。
「SWING GIRLS」で、
関口香織(トロンボーン。本仮屋ユイカ)が横断歩道で鳴っている「誰かさんと誰かさんが麦畑」の節がジャズのリズムに聞こえ、
中央の分離帯で信号が変わって取り残される、というシーンがある。
それが相生橋を渡った先の交差点のはずだが、移動中の車からは、中央分離帯が見つからなかった。
中心部まで、思ったほど遠くない。米沢城を左手にして通り過ぎ、
カーナビに従って右折するなどするうち、着いた所が上杉家廟所である。
主な見所は、全て17時で閉鎖するので、限られた時間に、確実に落ち着いて鑑賞できる場所を選ぼうと思い、
ここに白羽の矢が当たった。
が、入り口の書籍販売に気を取られた上、トイレに行きたくなり、駐車場の奥まで引き返すなど、
取り掛かりで時間を消耗し、やや慌てながら、廟所へ。
敷地の構造は思いのほか単純で、入り口から真っ直ぐ進むと、真横に一列に藩主の廟が並ぶ。
非常に整理整頓されているが、江戸時代は、現状とはかなり異なる配置で、各代ごとに平行に参道が走り、
家臣が奉献した石灯籠が参道脇に乱立し、合計1000基を超えたという。明治5年に米沢城跡地に上杉神社が創建され、
謙信と鷹山の遺骸が御廟に移転された際に、現在の姿に改変されたのである。
よって、すっきり整理整頓されている。
中央が上杉謙信の廟で、そこだけ囲いが開放され、廟内の墓碑が見えている。
なので、ごく自然に合掌礼拝ができる。
その左手前が、2代目・景勝。そのガードの固い廟を見るや、
覚えず上杉景虎の怨霊が自分に乗り移り、血走った眼をきっと見開いた。
権力闘争に敗れた貴公子の廟は、どこにもない。
しかし、歴史上の人物には、個人的な愛憎を超えて、等しく敬意を払う事に方針を変更したので、
景勝に対しても、感情(はて誰の?)を押し殺して合掌礼拝した。
後は余り馴染みがないので、一々拝むのもどうか、と思ったが、左隅の方に、
上杉鷹山の廟を見つけ、拝礼。
それにしても、このスケール感は、やはり凄い。
まだ17時になっていないが、空の明るさを気にしながら、車へ戻る。
市街の、SWING GIRLSロケ地を、
多少とも見ておきたい。
その第一弾は、パチスロ店「BIG TOMATO」である。
何丁目かまでは、住所がわかるので、カーナビにセット。
周りが田圃であることが幸いし、遠めにそれらしい施設が見えたので、余り迷わずに到達。
しかし、不都合な事に、映画とかぶる構図を狙うと、全部、逆光になってしまう。
数学教師(竹中直人)が、
眼鏡が壊れて何も見えない関口香織(本仮屋ユイカ)に「スウィングしなきゃダメだ」と助言するシーンが、
田園の鮮やかな緑を背にして印象的だったが、この時間帯は逆光のため、絵にならない。
後日、DVDで影の向きを確認すると、どうやら午前10時から午後1時ごろの間に撮影したようだ。
ここは、ジャズバンドの練習をさせてやろうと、店主が入り口付近のエリアを提供したのだ。
客寄せの思惑もあった。ということで、平日の放課後の設定と推定していたが、
思えば、成人男性が多数、見物していたのだから、週末の昼前後ということで、辻褄が合っている。
チクショー、計算違いだ。
面白いのは、お店の看板のふもとに、小さなお堂を建てた区画があり、そこに石碑が建ち、
閑静な、地域の史跡エリアになっていることだ。
これは、映画のシチュエーションには場違いなので、画面に入らないように撮影している。
次はサティ。楽器を買うための資金作りに、アルバイトしたり、駐車場で演奏を行った場所だ。
演奏シーンは、撮影準備に手間取り、エキストラの緊張が切れて、雰囲気が壊れかけた時、
役者たちが誰からとなく自然に生演奏を始め、
エキストラが熱心に聞きほれたので、やがて本当のライブのように盛り上がったという。
映画関係者にとっては、本編より感動的なシーンだったそうな。
その残像を味わうため、敷地の奥から駐車場を撮影する。
現実は、目一杯、満車で、とても演奏ができる状態ではない。
フジテレビの武田祐子アナは、山形市出身で、この映画にも出演しているが、
映画のサティは、人でごったがえしていたが、
米沢のスーパーは、本当は閑散としているので、有り得ないシーンだと言っていた。
そこで、中に入って確かめる事にした。
確かに映画のようにすし詰め状態ではないが、いろいろな客層で、存外にぎわっている。
閑散、という事はない。
次なる目標は、リサイクル店の「エビスヤ」
ここも、何丁目かだけをインプットし、地図の中を適当にウロウロしていると、ばったり見つけた。
ファジーなのに順調なところが嬉しい。
映画では、パソコンなどを売り払って楽器を得た店だが、
実際は、とても地味な古物が置いてある。
一角に、SWING GIRLSのコーナーがあり、
写真や、ロゴ入りシャツなどが展示してあるが、
キャラクター商品の販売は、一切していないと云う。
客はなく、事務室には、店主夫妻がいたので、広島からワザワザ来たと言えば、
ロケのこぼれ話も聞けたであろう事は間違いない。
が、女子高生スポ根映画のロケ地をはるばる尋ねてきたと思われるのは、
私の自尊心がどうしても許さなかった。
「僕って何?」アイデンティティ喪失の危機である。この旅の最終目的は、確かに映画ではなく、
映画は、旅の興趣を増そうと思って、わざわざレンタルして見たのである。
が、今や、ロケ地巡りを本気で楽しんでいる自分の姿も現実のものであった。
さて、最上川を北下して(上流から下流へ向かうので、北上とは云いにくい)、
ヤマハ「音楽アズム館」を探す。
またもカーナビには、何丁目までかを曖昧入力。
今度は見つからない。そこで、ダイソーではない、地元ブランドの100円ショップに飛び込み、
何人かの店員の一人を無造作に呼びかけ、道を尋ねた。
そのバイトの女の子は、道順を言葉で説明する訓練を受けていないせいか、
お店を出て、駐車場を縦断し、国道沿いまで連れてきてくれたが、
結局、解った事といえば、私がウロウロしていたこの国道は、道が一本ずれているという事だった。
「道沿いですが、とてもわかり難いですよ」「でも隣の道筋である事が解れば、必ず見つけますよ」
東北の若い訛りで親切にしてもらった事が何より嬉しい。
「音楽アズム館」は、
映画では、新品の高価な楽器をガラスのショーウィンドウに陳列するスタイリッシュな店舗だったが、
行ってみると、住宅地の一角の音楽教室、という風情で、
しかも、表口は改装工事中だった。
現代を扱った映画は、ボヤボヤしていると、ロケ地の風景が変わってしまうのである。
「音楽アズム館」のスグ近くに、
もみじ公園はあった。
私設バンド結成後まもなく、この公園で練習するが、隣の家の子供たちが、音がうるさい、と、植木鉢を投げつけたりする。
その隣家は、特撮やセットではなく、現実に存在していた。
が、映画では、母親が赤ん坊を背負い、物干し竿に洗濯物が沢山かかり、
所帯じみた貧乏くさい様子だったが、
現実には、建築後まもない、大豪邸であった。
その先端の離れの一室のようなところだけ画面に入っていたので、所帯じみた演出ができた。
そこから最上川を遡り、河川敷公園のような所へ向かう。
ところで、ここまでの経路は、必ずしも最短距離ではなく、
市街地を行ったり戻ったりと、ジグザグに走っているが、
夕方にも関わらず、幸い、ひどい渋滞にかかることもなかった。
河川敷は、舗装された土手が撮影に使われた。
女子高生たちが、吹奏楽部のピンチヒッターとして、特訓を始めた初期の頃、
体力づくりのランニングをした場所である。
土手から河川敷への斜面(切岸状)の整備された美しさは、
どこにでもある風景ではない。
米沢は、人口9万人の小都市だが、全国的な知名度が高い事からも解るが、
地方の中核都市としての歴史があり、そのインフラは、かなり充実している。
そこから市街の南部を西に走り、
鬼面川にかかる松が根橋という所へ向かう。
この橋の麓も、先の河川敷とは趣が違うが、土地の人たちが思い思いに集まり、
バーベキューをしたりしている。
川の水のまわりに、ススキのような草が生い茂り、粗にして野だが、卑ではない趣がある。
ここは、偶々、鈴木友子がサックスを吹きたくなり、中村拓雄がピアノを弾きたくなった場所で、
川を挟んで二人が遭遇する場所である。
とても好感の持てる、ほのぼのしたシーンだ。
但し、ワザワザ自宅から電子ピアノを持ってくるような場所には見えないし、
当然、電源もない。
ところで、むこうにJRの鉄橋が見えるが、
ここは、映画の導入部で、田圃に飛び込んで、制服を汚した女子高生らが、
川の水でルーズソックスを洗ったりする場所である。
自然に恵まれ、川の水も綺麗な、田舎の設定のはずだが、
意外にも市街地のほんの僅かな郊外である。
松が根橋を渡ってしまうと、スグ左にそれる道がある。
成島八幡宮の参道である。車をそちらに進める。
そこは映画とは無関係で、むしろ、大江広元の次男・長井時広とも関係のある、
れっきとした史跡である。
が、この日は、盆のお祭りの日で、鳥居の麓に模擬店がこさえてあり、
神社の駐車場も、数台、車が停めてあり、おまけにパトカーも控えていた。
空はまだまだ明るかったが、石段を登り、山道を登ると、鬱蒼とした林の中に入り、
たちまち夜のように暗くなった。
拝殿は、1383年、伊達宗遠の造営で、本殿は1664年、上杉綱勝の造営だという。
本殿の前に、法被を着た青年団が結集し、神輿を担いで町に繰り出す体勢に入ろうとしていた。
中の一人に写真を撮っていいか尋ねると、
「今、神主さんが祝詞を挙げていて、一番、神聖な局面だから、シャッターの音を立てたり、
フラッシュを焚いたりするなど、もってのほかの罰当たりな所業だべ」
と、静かにたしなめられた。どうぞ御勝手に、という答えを予想していたので、
驚く一方、念のため尋ねてよかった、とホッとした。
うっかり、シャッターを押していたら、屈強な青年団の全員に睨まれたかもしれない。
史跡を訪ねたつもりが、民俗学者が村祭りの研究に来たような格好になり、
ばつ悪そうに、町内会の婦人とすれ違ったりしながら、車に戻り、その場を去った。
実は、ここから、川西町の原田城跡や、長井市の史跡も訪問する計画を持っていたが、
途中18:35に日没があることも覚悟していたので、空しくもあり、疲れてもおり、
早く温泉にでも浸かって、・・・と、先を急ぎたい気持ちになった。
では、予定を変えて、私はどう車を走らせたのか。それは次回のお楽しみ。
(つづく)
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