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平成十八年八月十五日
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182006
(16) 白昼夢

西川町は、最上川の支流・寒河江川が縦走しており、 先の吉川公民館跡、つまり、阿弥陀堂跡は、川の南岸だった。 ちょうど車道は、公民館跡を取り巻くように湾曲し、 その車道を東行すると、川の南にある吉川集落の、そのまた南の山際を走り、 吉川集落が終わると、寒河江川が車道に肉薄してくるので、橋を渡って北岸に移動し、 更に東へ進むと、寒河江市に入るが、市街地は最上川と寒河江川に挟まれた陸地にあるので、 寒河江川の北岸は、山の麓の町はずれである。

仁王像(左) 仁王像(右)

慈恩寺の山門
しかし、そういう場所に慈恩寺はあった。細い九十九折(つづらおり)の車道は、軽自動車なら、さほど難はない。 駐車場から、参道へ少し降り、石段を登った所に山門がある。 大変、大きな山門で、両脇の仁王像は、金網を張ってないので、綺麗な写真が取れる。 到着したのは、8時30分を過ぎていたはずだ。拝観が開始されていたからである。

この寺は、746年、勅命により開基されるという、古くて輝かしい歴史を持つ。 寒河江荘が、藤原摂関家の荘園として成立したのは、1069年以前の事とされ、 平安時代を通して、藤原家の保護下にあったと思われる。

これは、寒河江市一帯が、出羽国の中でも、特に早くから開けた地である事を示唆していると思う。

1108年奥州藤原氏の修営があり、1151〜3年ごろ、奈良興福寺願西上人が、諸堂を再興したという。 丁度このころ、つまり、平安末期の仏像が14体、現存する。 この時期に、中央の寺院建築や仏像彫刻の技術が、活発に移入された事が解る。 大江広元に給付される直前の寒河江荘の活気が垣間見える。

慈恩寺三重塔(合成) 慈恩寺三重塔(一枚) 後に、最上氏改易後も、江戸幕府から2,800余石御朱印があり、 江戸時代を通して栄えたようだ。 明治以後は衰亡し、第2次大戦後慈恩宗というオリジナルの宗派を立て、本山慈恩寺として現在に至っている。

お寺の域内では、何と言っても、巨大な三重塔が精彩を放っている。 最上義光大壇越となって、1608年に建立されたが、現存するのは、1830年の再建である。 高さ8丈8尺というから、26.4mである。県の有形文化財だという。 写真は、左は、縦に3回に分けて撮った写真の合成である。右は、別の角度で、低い位置から見上げている。

慈恩寺の本堂 慈恩寺は、寒河江荘の代々の支配者に保護された寺院だが、 本堂は、元和年間に義光の子が建築に着手し、義光の孫の代で完成したもので、国重文である。 慈恩寺は、寒河江荘の代々の支配者に保護された寺院だが、 どうやら寒河江氏を滅ぼした最上氏の仕事が、今日もっとも尊重されているわけだ。 その点、切ないものがある。

鐘楼 自由に拝観できるように受付が臨時に設置されており、大勢の大人が正装して訪問している。 見れば、本堂と三重塔の間にある、戦没者の英霊を祀ったような石碑に、 神妙に合掌礼拝する人もいたりする。 そう云えば、今日は、8月15日終戦記念日であった。

1683年に建立された鐘楼がある。

さて、県内最大規模という道の駅「チェリーランドさがえ」は、慈恩寺から寒河江川を挟んで、直線距離で、2.5kmほどである。 9時に営業を開始する。時あたかも、9時5分前。 寒河江荘が、この旅の最遠の地である。 道の駅で、職場へのお土産を買ったりするといいだろう。

チェリーランドさがえトルコ館 着くと、まずトルコ館へ。敷地の端の方なので、最初に行っておかないと、2度と行く機会がないだろう。 ていうか、愛・地球博への郷愁である。 地球博の会場では、2箇所以上、トルコ料理の模擬店があり、 シシカバブやトルコアイスで、飢えをしのいだのが、懐かしい記憶だ。 ただ、ここのトルコ館は、トルコビールや、紅茶が目を引いたが、微妙に値段が高いし、荷物になりそうなので、 そそくさと退散し、メインの土産店へ。

寒河江は、というより、この辺り一帯は、サクランボの産地である。 従い、サクランボ関係の土産物が目白押しである。 どれが、名物なのかよく解らなかったので、 見た目と、値段の程よさを考え、さくらんぼ入りゼリーにした。 「さくらんぼきらら」という名で、 見たところ「チェリーランドさがえ」オリジナルのお土産のようだ。

帰宅して試食してみると、これが結構、上品な逸品であった。 ただ、製造した菓子屋は、住所が岩手県である。

ここは、山形市より更に北にあるのだが、他の土産としては、米沢牛に因んだものが、ひしめいていた。 何しろ、荷物の極小化を追求しているので、もっぱら眺めるだけ。 次第に、時間の浪費に思えてきて、その場を去る。 車を停めた所まで引き返すので、手順にソフトクリームの売り場で足を止める。

「だだちゃ豆入りソフトクリーム」というのが目を引いたのだ。 というのは、前々週かの土曜日版・日経新聞の何でもランキングのコーナーで、 通販で取り寄せできるアイスクリームの特集があり、 1位はダントツで、岡山の桃の果汁のアイスか何かだったが、 2位か3位に「だだちゃ豆アイス」というのが、あったのを思い出したからだ。

「これって、日経新聞に出ていませんでしたか」

「ソウデスカ、ゼンゼン、シリマセンデシタ」 20歳前後のバイトのサクランボ娘(単なる言葉の彩。服装は普通)は、かなりの東北訛りである。 米沢とは、かなり訛りの度合が違う。 しばらく要領を得ない会話の末、私は350円「だだちゃ豆入り」を買う事に決めた。すると、

「これは、アイスではなくて、ソフトクリームですけど、それでもいいんですか?」

なるほど。私が新聞で見たアイスは、地元でも高級品として知られているようである。 そちらに比べると、こちらは、ソフトクリームというだけでなく、 見掛け倒しのマガイモノなので、 彼女は、私の好奇心を刺激しないよう、意識的にそっけない応対をしていたのである。 健気な良心である。 そして、私は見事に350円を浪費した。

9:30、一路、南へ。寒河江市内は、花や特産物を植えた畑が、田園風景にアクセントを添え、 西川町に負けず劣らず、眩い風景が広がる。 西川町で、風景を撮影しそびれた負い目もあったので、車を停めて、写真を撮った。 が、何が悪かったのか、現場の感動を映像で表現できていない。

寒河江市の風景

さて、レンタカーを15時30分までに、米沢駅で返却予定である事を踏まえ、 私は、ここから、山形城・長谷堂城・上山城・中山城(上山市の羽前中山駅あたり)などを歴訪する予定だったが、 お昼は、上山温泉街の蕎麦屋(古い「るるぶ」参照)で、 とも考えていて、かなりの強行軍である。 しかも、山形市の手前の中山町にある郷土資料館が、国道沿いで立ち寄りやすいから、という理由でマークしていた。 勿論、どうせ、その場の雰囲気で取捨選択する事になるとは思っていた。

そのような次第で、「チェリーランドさがえ」の前を走る112号線を下り、山形自動車道には乗らず、中山町へ。 で、まさに資料館の入口を示す標識を見たとき、何ともいいようのない気だるさを感じ、 そのまま通り過ぎてしまった。

しかも、山形市内に接近するにつれ、交通量が多くなってくる中、猛烈な睡魔が襲ってきて、 運転自体が危険な状態になった。 5、6年前に、日帰り旅行の帰り、深夜の山陽道で、同様の経験がある。 と言って、その時の方が睡魔は激しかった。 何しろ、SAで仮眠したいのに、ちょうどSAとSAの狭間で、かなりの距離走らないと、次がなかったのである。 そして、SAに入るためのカーブに差し掛かった時が最悪の状態だった。 もうすぐ着くと思うと、ますます眠くなるのである。

今回は、状況も程度も異なるが、共通するのは、朝、やたら早く起きて行動している点である。 気温の上昇につられ、体が休憩を求めているのだ。 そこで、車道の奥に閑静な住宅地らしい区域のあるのを見て、車をそちらに進めると、 ちょうど公園があったので、公園脇に車を駐め、そのまま仮眠する事にした。

山形城の案内図 で、目が覚めた時は、早くも12時を少し回っていた。 体が疲れていた事もあるが、はるばる東北まで来て、 地元の山城巡りや、無料100円の資料館を訪れたりする、 普段着の地味な行動パターンに、拒絶反応を起こしたのかもしれない。

実は、15:30のレンタカー返却に先立ち、14時10分前くらいまでに、 南陽市の、とある場所に行くのは、外せない、と心に期していたので、 既に、どこにも立ち寄る時間がなくなりつつあるが、 とりあえず山形城だけは、と行動を起こす事にした。 しかし、城の周辺は、交通量も多く、近くをJRが走っている事もあり、 濠の周りを一周しようというプラン自体が実行困難だった。 何とか写真は撮ったが、落ち着かない訪城である。

今、案内図をよく見ると、南門から大手門に向かうには、一度、橋を渡って、市街地を回りこみ、 大手門から城内に入るために、もう一度、線路を越えないと不可ないようである。 大手門の目の前を線路が過ぎるなど、県のシンボルに対する処遇とは思えない。 不埒千万である。


山形城の南門 左サイド
山形城の南門 右サイド

実のところ、迷いはあったのだ。 寒河江氏を滅ぼした最上氏のゆかりの地なので、 いっそ、山形市全体を黙殺するのが、行動の美学だと考えてもいたのである。 それでなくとも、寒河江市で、何気なく立ち寄った正覚寺や慈恩寺に、 少なからず最上義光の体臭が匂って、少し胸焼けがしていたくらいなのだ。

そこで、未練げもなく、車での移動を開始したが、 山形市を抜け出た途端に、呪縛から解放され、正気を取り戻した。

さて、私は、どこに向かったのか。 風景を見ながら、車の速度を少しづつ落とし、ある場所で、「うむ」と得心して、 農道を右折し、離合時の待避所のような、適当な空間を見つけ、車を駐めた。 盆地一帯に田園が広がり、山際に、細長く集落が展開している。

線路がある。線路の前に田圃がある。田圃と田圃の間にあぜ道がある。 私は、車道と線路の中間にあたる、そのあぜ道を奥の方まで歩いていく。 そうなると、まるで得体の知れぬ侵入者のごとくであり、 人影は見えないのに、視線を感じる。

13:40。少し到着が早かったようだが、遅刻のリスクを考えれば、ちょうど良い塩梅といえる。 私は、線路のある土手を見渡す。 ススキのような草で隠れている部分と、草は生えていなくて、土手が露出している箇所とがある。

梨郷と織機の間

梨郷と織機の間 私は、少々悩みながら、後ろの工場や民家が目障りでないようなアングルを選び、 ようやく腰を定めた。

14:04。運命の時は来た。しばらくは、何も起こらなかった。 が、左の方向、視野の彼方で、確かに一声、鳴り響くものがあった。 そして、それは現われた。私は、特段あわてるでなく、予め定めていたフレームの中に、それを納めた。

それは、フラワー長井線の車両である。 一日数便しかなく、この地点に立って撮影しようと思えば、この時刻しか選択肢がなかったのである。

ここは梨郷(りんごう)駅織機(おりはた)駅の中間に当たる。 云わずと知れた「SWING GIRLS」のロケ地である。 (織機は、「鶴の恩返し」の伝承地だ) 乗換駅で折りそびれた女子高生の一団は、隣の駅で下車するが、何しろ一日数便であるから、 前の駅まで歩いて引き返す事にした。ペチャクチャだべりながら、線路の上を歩いていたが、 ふと気づくと背後に電車が肉薄しており、慌てた彼女らは、一斉に線路脇の田圃に飛び込むのである。

振り返って電車に気づいた時、彼女らはススキのような草の間にいた。 しかし、田圃に飛び込んだ場所は、全く草は生えておらず、土手が露出していた。 これは、明らかにシュールな映像のつなぎ方である。 また、辺りは閑静な田園地帯なので、電車が駅を出発した時の汽笛が、私の耳にもハッキリ聞き取れたし、 背後に迫るまで電車に気づかないという事は有り得ない。 このように、序盤は、とてつもなく非現実的なシーンの連続であったが、 夏の東北の田圃の緑の鮮やかさが、とても美しく、 映画そのままの緑が眼前に広がる中を走るフラワー長井線の車両に、私は心から満足を覚えた。

フラワー長井線 ただ、映画に登場するフラワー長井線は2両編成だが、実際には1両で走っている。 また車両には、「SWING GIRLS」のロゴが、しっかり印刷されていた。

廃線が決定される直前だったのが、映画ファンの利用が見込まれるというので、その後、数年間は、営業を継続する事にしたのである。 映画で2両編成なのは、実際に定刻どおり走る電車をロケに使用するため、一般客車両とロケ用車両の2両で走る事が不可避だったから。 おそらく、定められた時刻に乗客を運ぶ、という目的以外に線路を利用するのは、 公共の資産の私的利用になるので、法的に禁止されているか、かなり面倒な手続きが必要だったりするのだろう。

梨郷駅のホーム

梨郷駅舎 しばらく余韻を楽しんだ後、梨郷駅へ移動する。 映画では、ホーム上の時刻表を見て、折り返しの電車より歩いた方が早いと判断するが、 ホームには、駅名掲示板しか存在しなかった。映画では、駅名表示板に、時刻表を貼った状態が確かに撮影されている。 梨郷駅ホームから古い集落 ところで、ホームから見える山際の古い集落は、中々絶景である。 駅舎、つまり、待合室は、山小屋風の洒落た建物で、その室内に、路線図や時刻表はあった。 冷静に考えてみると、ホーム上の時刻表など、冬の雪深い日には、誰が見るだろうか。

路線図 時刻表 さて、ここは、JR今泉駅JR赤湯駅の中間くらいの場所なので、 米沢駅を目的地としてカーナビに設定すれば、自然、真南に進む順路を選んでくれると思い込み、 勇んで、出発したが、何と赤湯温泉まで引き返してしまった。 よって、想定以上に所要時間がかかり、レンタカーを返したのは15時15分くらいで、 またも、観光施設が閉店する17時までの時間が僅かとなってしまった。

しかし、引き続き駅レンで、貸し自転車の予約を取っていたので、一応、機動力はある。 ただ、車中に散らかした荷物をコンパクトに詰め替える作業に、意外に手間取った。 その過程で、私は、新潟柿の種スーパーホテルに置き忘れた事に気がついた。 夜食として、4袋のうちの1袋を開けるつもりで、箱ごとテーブルに置いていたが、 袋を開ける事なく、放置してしまったのである。 早朝、慌ててチェックアウトした事が悔やまれる。

気づいた読者の方は、おられるかどうか、私は結局、昼食を取りそびれたまま、時間に追われて、自転車を漕ぐ。 行く手に何が待ち受けているだろうか、それは、次回のお楽しみ。

(つづく)

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