|
西川町は、最上川の支流・寒河江川が縦走しており、
先の吉川公民館跡、つまり、阿弥陀堂跡は、川の南岸だった。
ちょうど車道は、公民館跡を取り巻くように湾曲し、
その車道を東行すると、川の南にある吉川集落の、そのまた南の山際を走り、
吉川集落が終わると、寒河江川が車道に肉薄してくるので、橋を渡って北岸に移動し、
更に東へ進むと、寒河江市に入るが、市街地は最上川と寒河江川に挟まれた陸地にあるので、
寒河江川の北岸は、山の麓の町はずれである。
しかし、そういう場所に慈恩寺はあった。細い九十九折(つづらおり)の車道は、軽自動車なら、さほど難はない。
駐車場から、参道へ少し降り、石段を登った所に山門がある。
大変、大きな山門で、両脇の仁王像は、金網を張ってないので、綺麗な写真が取れる。
到着したのは、8時30分を過ぎていたはずだ。拝観が開始されていたからである。
この寺は、746年、勅命により開基されるという、古くて輝かしい歴史を持つ。
寒河江荘が、藤原摂関家の荘園として成立したのは、1069年以前の事とされ、
平安時代を通して、藤原家の保護下にあったと思われる。
これは、寒河江市一帯が、出羽国の中でも、特に早くから開けた地である事を示唆していると思う。
1108年、奥州藤原氏の修営があり、1151〜3年ごろ、奈良興福寺の願西上人が、諸堂を再興したという。
丁度このころ、つまり、平安末期の仏像が14体、現存する。
この時期に、中央の寺院建築や仏像彫刻の技術が、活発に移入された事が解る。
大江広元に給付される直前の寒河江荘の活気が垣間見える。
後に、最上氏改易後も、江戸幕府から2,800余石の御朱印があり、
江戸時代を通して栄えたようだ。
明治以後は衰亡し、第2次大戦後、慈恩宗というオリジナルの宗派を立て、本山慈恩寺として現在に至っている。
お寺の域内では、何と言っても、巨大な三重塔が精彩を放っている。
最上義光が大壇越となって、1608年に建立されたが、現存するのは、1830年の再建である。
高さ8丈8尺というから、26.4mである。県の有形文化財だという。
写真は、左は、縦に3回に分けて撮った写真の合成である。右は、別の角度で、低い位置から見上げている。
慈恩寺は、寒河江荘の代々の支配者に保護された寺院だが、
本堂は、元和年間に義光の子が建築に着手し、義光の孫の代で完成したもので、国重文である。
慈恩寺は、寒河江荘の代々の支配者に保護された寺院だが、
どうやら寒河江氏を滅ぼした最上氏の仕事が、今日もっとも尊重されているわけだ。
その点、切ないものがある。
自由に拝観できるように受付が臨時に設置されており、大勢の大人が正装して訪問している。
見れば、本堂と三重塔の間にある、戦没者の英霊を祀ったような石碑に、
神妙に合掌礼拝する人もいたりする。
そう云えば、今日は、8月15日、終戦記念日であった。
1683年に建立された鐘楼がある。
さて、県内最大規模という道の駅「チェリーランドさがえ」は、慈恩寺から寒河江川を挟んで、直線距離で、2.5kmほどである。
9時に営業を開始する。時あたかも、9時5分前。
寒河江荘が、この旅の最遠の地である。
道の駅で、職場へのお土産を買ったりするといいだろう。
着くと、まずトルコ館へ。敷地の端の方なので、最初に行っておかないと、2度と行く機会がないだろう。
ていうか、愛・地球博への郷愁である。
地球博の会場では、2箇所以上、トルコ料理の模擬店があり、
シシカバブやトルコアイスで、飢えをしのいだのが、懐かしい記憶だ。
ただ、ここのトルコ館は、トルコビールや、紅茶が目を引いたが、微妙に値段が高いし、荷物になりそうなので、
そそくさと退散し、メインの土産店へ。
寒河江は、というより、この辺り一帯は、サクランボの産地である。
従い、サクランボ関係の土産物が目白押しである。
どれが、名物なのかよく解らなかったので、
見た目と、値段の程よさを考え、さくらんぼ入りゼリーにした。
「さくらんぼきらら」という名で、
見たところ「チェリーランドさがえ」オリジナルのお土産のようだ。
帰宅して試食してみると、これが結構、上品な逸品であった。
ただ、製造した菓子屋は、住所が岩手県である。
ここは、山形市より更に北にあるのだが、他の土産としては、米沢牛に因んだものが、ひしめいていた。
何しろ、荷物の極小化を追求しているので、もっぱら眺めるだけ。
次第に、時間の浪費に思えてきて、その場を去る。
車を停めた所まで引き返すので、手順にソフトクリームの売り場で足を止める。
「だだちゃ豆入りソフトクリーム」というのが目を引いたのだ。
というのは、前々週かの土曜日版・日経新聞の何でもランキングのコーナーで、
通販で取り寄せできるアイスクリームの特集があり、
1位はダントツで、岡山の桃の果汁のアイスか何かだったが、
2位か3位に「だだちゃ豆アイス」というのが、あったのを思い出したからだ。
「これって、日経新聞に出ていませんでしたか」
「ソウデスカ、ゼンゼン、シリマセンデシタ」
20歳前後のバイトのサクランボ娘(単なる言葉の彩。服装は普通)は、かなりの東北訛りである。
米沢とは、かなり訛りの度合が違う。
しばらく要領を得ない会話の末、私は350円の「だだちゃ豆入り」を買う事に決めた。すると、
「これは、アイスではなくて、ソフトクリームですけど、それでもいいんですか?」
なるほど。私が新聞で見たアイスは、地元でも高級品として知られているようである。
そちらに比べると、こちらは、ソフトクリームというだけでなく、
見掛け倒しのマガイモノなので、
彼女は、私の好奇心を刺激しないよう、意識的にそっけない応対をしていたのである。
健気な良心である。
そして、私は見事に350円を浪費した。
9:30、一路、南へ。寒河江市内は、花や特産物を植えた畑が、田園風景にアクセントを添え、
西川町に負けず劣らず、眩い風景が広がる。
西川町で、風景を撮影しそびれた負い目もあったので、車を停めて、写真を撮った。
が、何が悪かったのか、現場の感動を映像で表現できていない。
さて、レンタカーを15時30分までに、米沢駅で返却予定である事を踏まえ、
私は、ここから、山形城・長谷堂城・上山城・中山城(上山市の羽前中山駅あたり)などを歴訪する予定だったが、
お昼は、上山温泉街の蕎麦屋(古い「るるぶ」参照)で、
とも考えていて、かなりの強行軍である。
しかも、山形市の手前の中山町にある郷土資料館が、国道沿いで立ち寄りやすいから、という理由でマークしていた。
勿論、どうせ、その場の雰囲気で取捨選択する事になるとは思っていた。
そのような次第で、「チェリーランドさがえ」の前を走る112号線を下り、山形自動車道には乗らず、中山町へ。
で、まさに資料館の入口を示す標識を見たとき、何ともいいようのない気だるさを感じ、
そのまま通り過ぎてしまった。
しかも、山形市内に接近するにつれ、交通量が多くなってくる中、猛烈な睡魔が襲ってきて、
運転自体が危険な状態になった。
5、6年前に、日帰り旅行の帰り、深夜の山陽道で、同様の経験がある。
と言って、その時の方が睡魔は激しかった。
何しろ、SAで仮眠したいのに、ちょうどSAとSAの狭間で、かなりの距離走らないと、次がなかったのである。
そして、SAに入るためのカーブに差し掛かった時が最悪の状態だった。
もうすぐ着くと思うと、ますます眠くなるのである。
今回は、状況も程度も異なるが、共通するのは、朝、やたら早く起きて行動している点である。
気温の上昇につられ、体が休憩を求めているのだ。
そこで、車道の奥に閑静な住宅地らしい区域のあるのを見て、車をそちらに進めると、
ちょうど公園があったので、公園脇に車を駐め、そのまま仮眠する事にした。
で、目が覚めた時は、早くも12時を少し回っていた。
体が疲れていた事もあるが、はるばる東北まで来て、
地元の山城巡りや、無料か100円の資料館を訪れたりする、
普段着の地味な行動パターンに、拒絶反応を起こしたのかもしれない。
実は、15:30のレンタカー返却に先立ち、14時10分前くらいまでに、
南陽市の、とある場所に行くのは、外せない、と心に期していたので、
既に、どこにも立ち寄る時間がなくなりつつあるが、
とりあえず山形城だけは、と行動を起こす事にした。
しかし、城の周辺は、交通量も多く、近くをJRが走っている事もあり、
濠の周りを一周しようというプラン自体が実行困難だった。
何とか写真は撮ったが、落ち着かない訪城である。
今、案内図をよく見ると、南門から大手門に向かうには、一度、橋を渡って、市街地を回りこみ、
大手門から城内に入るために、もう一度、線路を越えないと不可ないようである。
大手門の目の前を線路が過ぎるなど、県のシンボルに対する処遇とは思えない。
不埒千万である。
実のところ、迷いはあったのだ。
寒河江氏を滅ぼした最上氏のゆかりの地なので、
いっそ、山形市全体を黙殺するのが、行動の美学だと考えてもいたのである。
それでなくとも、寒河江市で、何気なく立ち寄った正覚寺や慈恩寺に、
少なからず最上義光の体臭が匂って、少し胸焼けがしていたくらいなのだ。
そこで、未練げもなく、車での移動を開始したが、
山形市を抜け出た途端に、呪縛から解放され、正気を取り戻した。
さて、私は、どこに向かったのか。
風景を見ながら、車の速度を少しづつ落とし、ある場所で、「うむ」と得心して、
農道を右折し、離合時の待避所のような、適当な空間を見つけ、車を駐めた。
盆地一帯に田園が広がり、山際に、細長く集落が展開している。
線路がある。線路の前に田圃がある。田圃と田圃の間にあぜ道がある。
私は、車道と線路の中間にあたる、そのあぜ道を奥の方まで歩いていく。
そうなると、まるで得体の知れぬ侵入者のごとくであり、
人影は見えないのに、視線を感じる。
13:40。少し到着が早かったようだが、遅刻のリスクを考えれば、ちょうど良い塩梅といえる。
私は、線路のある土手を見渡す。
ススキのような草で隠れている部分と、草は生えていなくて、土手が露出している箇所とがある。
私は、少々悩みながら、後ろの工場や民家が目障りでないようなアングルを選び、
ようやく腰を定めた。
14:04。運命の時は来た。しばらくは、何も起こらなかった。
が、左の方向、視野の彼方で、確かに一声、鳴り響くものがあった。
そして、それは現われた。私は、特段あわてるでなく、予め定めていたフレームの中に、それを納めた。
それは、フラワー長井線の車両である。
一日数便しかなく、この地点に立って撮影しようと思えば、この時刻しか選択肢がなかったのである。
ここは梨郷(りんごう)駅と織機(おりはた)駅の中間に当たる。
云わずと知れた「SWING GIRLS」のロケ地である。
(織機は、「鶴の恩返し」の伝承地だ)
乗換駅で折りそびれた女子高生の一団は、隣の駅で下車するが、何しろ一日数便であるから、
前の駅まで歩いて引き返す事にした。ペチャクチャだべりながら、線路の上を歩いていたが、
ふと気づくと背後に電車が肉薄しており、慌てた彼女らは、一斉に線路脇の田圃に飛び込むのである。
振り返って電車に気づいた時、彼女らはススキのような草の間にいた。
しかし、田圃に飛び込んだ場所は、全く草は生えておらず、土手が露出していた。
これは、明らかにシュールな映像のつなぎ方である。
また、辺りは閑静な田園地帯なので、電車が駅を出発した時の汽笛が、私の耳にもハッキリ聞き取れたし、
背後に迫るまで電車に気づかないという事は有り得ない。
このように、序盤は、とてつもなく非現実的なシーンの連続であったが、
夏の東北の田圃の緑の鮮やかさが、とても美しく、
映画そのままの緑が眼前に広がる中を走るフラワー長井線の車両に、私は心から満足を覚えた。
ただ、映画に登場するフラワー長井線は2両編成だが、実際には1両で走っている。
また車両には、「SWING GIRLS」のロゴが、しっかり印刷されていた。
廃線が決定される直前だったのが、映画ファンの利用が見込まれるというので、その後、数年間は、営業を継続する事にしたのである。
映画で2両編成なのは、実際に定刻どおり走る電車をロケに使用するため、一般客車両とロケ用車両の2両で走る事が不可避だったから。
おそらく、定められた時刻に乗客を運ぶ、という目的以外に線路を利用するのは、
公共の資産の私的利用になるので、法的に禁止されているか、かなり面倒な手続きが必要だったりするのだろう。
しばらく余韻を楽しんだ後、梨郷駅へ移動する。
映画では、ホーム上の時刻表を見て、折り返しの電車より歩いた方が早いと判断するが、
ホームには、駅名掲示板しか存在しなかった。映画では、駅名表示板に、時刻表を貼った状態が確かに撮影されている。
ところで、ホームから見える山際の古い集落は、中々絶景である。
駅舎、つまり、待合室は、山小屋風の洒落た建物で、その室内に、路線図や時刻表はあった。
冷静に考えてみると、ホーム上の時刻表など、冬の雪深い日には、誰が見るだろうか。
さて、ここは、JR今泉駅とJR赤湯駅の中間くらいの場所なので、
米沢駅を目的地としてカーナビに設定すれば、自然、真南に進む順路を選んでくれると思い込み、
勇んで、出発したが、何と赤湯温泉まで引き返してしまった。
よって、想定以上に所要時間がかかり、レンタカーを返したのは15時15分くらいで、
またも、観光施設が閉店する17時までの時間が僅かとなってしまった。
しかし、引き続き駅レンで、貸し自転車の予約を取っていたので、一応、機動力はある。
ただ、車中に散らかした荷物をコンパクトに詰め替える作業に、意外に手間取った。
その過程で、私は、新潟の柿の種をスーパーホテルに置き忘れた事に気がついた。
夜食として、4袋のうちの1袋を開けるつもりで、箱ごとテーブルに置いていたが、
袋を開ける事なく、放置してしまったのである。
早朝、慌ててチェックアウトした事が悔やまれる。
気づいた読者の方は、おられるかどうか、私は結局、昼食を取りそびれたまま、時間に追われて、自転車を漕ぐ。
行く手に何が待ち受けているだろうか、それは、次回のお楽しみ。
(つづく)
|