|
| ||||||
|
平成十九年十月廿七日
(Last updated : 2007.11.8) | ||||||
Tour
| ||||||
美しき江南4日間 |
|
一行は空港で小さなバスに乗り、いざ上海市街へ向け、出発!
ガイドさんは、自分が日本に観光旅行した時の話をして、ツアー客の心を掴む。 日本で長く生活していたわけではないようだが、言葉は達者である。 なお、若い女性のカメラマンが随行している点も、1月と同じである。
元の両替は、1万円を620元に換えるという。1元が16.13円である。
綺麗な団地というか、マンションが見える。こういう所は結構家賃が高いそうである。
さて、バスは都心部に近いところを通過する。
写真中央の一段と高いビルは、建設中の森ビルである。
やがて南浦大橋を渡って、高速から降り、市中を走って、昼食会場へ。
看板を見ると「桃源中餐廰」。 中餐とは文字通り昼食である。 恐れ入ったことに昼食専門のレストラン!? この昼食は「点心料理」との触れ込みだったが、いきなり、デザートの菓子のようなものが出てきた。 (いきなりかよ!) それからゴマ団子のようなものとか、その先、どうなることかと思ったが、 じきに普通の料理の皿が出るようになる。 1月の旅行で、どうも上海料理は、日本の京料理以上に薄味なのか、 と疑うようになっており、余り期待はしなかったが、 却って薄味に慣れたのか、まあ、これも悪くないな、と。 ただ、今回も、ちんげん菜に八宝菜風の餡を絡めたシンプルな料理が一番おいしいと感じた。 これは、他の日本人客も同意見だったので、驚いた。 青島ビールが30元(484円)と高い。大瓶なので量は多いが、味が薄い。 私は、9年前、小瓶ではあるが、5元で注文できたことを思い出し、今回は遠慮した。 代わりに、チャイナドレスのウェイトレスを呼び止めて、 「請給我(私に下さい)…」というと何故か嫌な顔をされ、 「一杯茶(イーペイチャア)」…なあんだ、お茶か、という反応。 安物の温(ぬる)い緑茶である。 私はガイドさんの耳元で、 「あのう、烏鎮(うちん)に行ったら、私は絶対、三白酒(サンパイチォウ)を買いますからね。 紹興までのバスの中で退屈しのぎで飲みたいので。 酒を買う時、行列から遅れて迷惑をかけるかもしれないので、あらかじめ断わっておきます」と囁いた。 ガイドさんは「器を持っていますか?」と尋ねたが、「瓶に口をつけて飲むので構わない」 三白酒というのは、烏鎮の特産で、アルコール度は55度である。
警察というのは、明治維新直後の日本において、薩長の軍隊とは異なる、民衆のためを意識して編成された日本的な組織、 というイメージが私の脳裏には、ある。 維新の傍流・鍋島藩出身の江藤新平の貢献が大きかったかな? ガイドさんによると、中国の警察は性悪だとの事である。 具体的な意味は不明。 さて、バスは現地時間で12:30、上海から西南に140qの烏鎮(ウーチェン)へ向かって出発する。 (以後、断りがなければ現地時間である。) 途中、料金所脇のガソリンスタンドで給油をする事となるが、 トラックなどが行列をなしており、時間がかかるので、降りてトイレ休憩という事に。
三白酒が60元(968円)前後で売られている。ガイドさんによれば、烏鎮で買った方が安いという。 天津甘栗をその場で炒ったものを詰めて売っている。15元(242円)。粒は小さいが量はズシリと重い。これは安い!咄嗟に一袋買った。 本のコーナーでは、杭州の詳細地図を売っている。ちと高いかな。 そこにガイドさんが来て、中国のヌード本は、昔はどうでもよかったが、最近は随分内容が良くなっているという。 見ると私の目線より少し上に、ヌード本が陳列されていた。ビニールで包んであり、まさにビニ本だ。 確かに表紙の印刷の品質は、文化大革命時代には想像もつかないマトモな総天然色である。 値段は百元(1,613円)というので、私は敬遠した。 ふと見ると、冴えない表情で、カメラマンがヒマそうにしている。 私は話しかけ、手帳を出して、「請NI写NI的名字(名前を書いてくれ)」と頼んだ。 漢字は読めたが、発音が分からないので、発音も書いてくれ、と。 「日本語で?」「いや、併音字母(ピンインツーム:中国式ローマ字のこと)で」 この光景は、近くに立っていた中国人のおじさんには、かなり強引なナンパのように見えたかもしれない。 しかし、このやりとりにより、彼女は、私に限らず、日本人の団体客全員に対して、 心理的な壁がなくなり、オープンに話しかけれるきっかけをつくったように思う。 まあ、もともと快活な性格のようだが。 給油がまだのようなので、更に土産物を物色した。 私は9年前、鄭州市の飛行場で干した黒棗(なつめ)を5元くらいで購入し、結構気に入り、その後も日本で、 大きな駅の構内で、ドライフルーツや松の実、クコの実などとともに干し棗が売られていると、 買いたくなるのだが、100gで350円くらいだったりするので、中々手が出ない。 そこで、中国では何がなんでも棗、と思っていたので、 店中探し回ったところ、「駿棗」という紅棗、ずしりと重い500gが、38元(613円)。 思ったよりも高かったが、考える余裕もなく買うことにした。 店を出ると、皆なバスに乗っており、ガイドさんがドアのところで待っていたので、 しまった、と思い、一目散に走っていくと、ガイドさんが「いや、そんなに急がなくても」という仕草をした。 3泊4日ということで、行程に時間的な余裕があるのか、今回のガイドさんは、至って紳士的であった。
私は、手を汚しながら栗の皮を剥き、あるいは、棗の袋を開封した。 匂いが広がり、近くの客が振り返る。
烏鎮というのは、伝統的な町並み保存地区であるが、東地区と西地区とに分かれる。 従来からの観光地は東地区であるが、最近、西地区の整備が進み、正式に観光地として営業を始めたようだ。 西地区は、19世紀半ばの太平天国の乱で、丸焼けに焼かれ、20世紀初頭においても、家がまばらで閑散としていたようだ。 よって、全く新しい景観ではないかと思う。 東地区は、東市河の両側に沿って繁栄した19世紀後半から20世紀前半の景観がよく保存されている。 茅盾(ぼうじゅん)、という、中国では魯迅(ろじん)と並んで有名な小説家が生まれ、幼少期を過ごした町であることから、 私は、広島大学図書館で「茅盾回想録」を借りて読んでいたのである。 実録ではあるが、烏鎮の街並みを舞台に、曾祖父以下の家族・親戚や、幼少期の本人が生き生きと描かれている。 さすが有名な小説家だけあって、自然にその世界に吸い込まれ、楽しく読みふけった。 その生家や小学校が、そのまま保存されているのだから、これは楽しみである。 回想録で得た蘊蓄を一つ付け加えるなら、 烏鎮は、随分むかしから、東地区を青鎮、西地区を烏鎮と、呼び分けており、両地区の総称は烏青鎮というのであるが、 よそ者向けには、単に自分は烏鎮の出身、というふうに簡略化して紹介していたらしい。
(つづく) (1)出発 | (2)中餐 | (3)烏鎮 | (4)紹興 | (5)孔乙己 | (6)紹興酒 | (7)七層塔 | (8)西湖十景 | (9)杭州の夜 | (10)杭州の朝 | (11)太湖 | (12)恵山寺 | (13)地鉄 | (14)中国茶道 | (15)豫園(最終回) |
![]()
当サイトの著作権は 福原元澄 また、本頁の背景画像は 「お城巡りFAN」 岡泰行さんのご厚意により、福原雅俊に使用許諾されたものです。 当サイトの内容をいかなる方法に於いても「無断で」改変、複製、転載する事を禁じます。 |