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平成十九年十月廿八日
(Last updated : 2007.12.1) | ||||||
Tour
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美しき江南4日間 |
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いやいや、要は人口である。紹興市だけで広島県と岡山県を合計したくらいの人口があるのだから。 その一部が路上に出ただけでこの有様である。 もし平日の通勤途上であれば、こんなものでは済まなかったかもしれない。
をを、麦当労(マクドナルド)だ。他にも賢徳基(ケンタッキー)は、この後も、よく見かけた。
咸享(シェンシァン)酒店である。 写真に刻まれた時刻は8時5分。 な、なんで?まだ8時5分?ううむ。皆が8時になる前に集合したので、少し早く出発したのかな?よく分からない。
…って、誰なんだ、ソイツは! 実は、魯迅の短編小説の主人公である。 「吶喊」という短編集に含まれており、岩波文庫なら「阿Q正伝」に収録されている。 何を隠そう、魯迅は紹興市の出身で、故居も、この付近にある。 咸享酒店は、その小説に登場する、飲み屋兼レストランなのであった。 時代背景は、ちょうど烏鎮の茅盾が生まれた頃だ。 孔乙己は、知識階級の出身だが、科挙の試験に合格できず、ていうか、科挙の受験資格を持つ「秀才」にも合格できない中途半端な人物であった。 孔乙己は、時々、咸享酒店に飲みに来るが、 科挙の勉強をしていた分、手に職もなく、ろくに収入がないので、奥の方の椅子には座らず、 労務者がたむろす手前のカウンターで紹興酒を注文する。 彼は、搾取される階級ではないが、その中途半端さゆえに、却って工人(プロレタリアート)たちから見下される存在であった。 そう言えば、茅盾の父も、科挙の第一次試験である郷試に合格できなかったが、「秀才」ではあった。 孔乙己の場合、長年ガリ勉していて「秀才」にすらなれない、という点が致命傷だったと思われる。 実は、茅盾の父もそうだったが、孔乙己は書道の覚えがあり、お店の看板を書くアルバイトは、結構いい稼ぎにはなった。 しかし、孔乙己は酒に酔って注文を忘れたり、ちゃらんぽらんな所があって、次第に相手にされなくなるのだ。 ただ、美点としては、飲み屋のツケの払いがよかった。ホワイトボードに名前と未払金額を書かれても、大概は間もなく消える。
茴香豆の方は、数時間後、別の土産店で購入したものの写真を掲げておく。辛い味付けと塩コショウ味と2種類、それぞれ5元(約81円)。
真空パックなので日持ちはよさそうだ。なので、塩コショウ味の方は、原稿を書いている今日現在、まだ手をつけていない。
噛むと弾力があり、独特の味が染みだし、中々いける。
さて、孔乙己は19銭のツケを残したまま、姿を見せなくなり、半年後に現われた時は、杖をついてビッコを引いていた。 分限者の家から本を盗みだそうとして見つかり、体中をしたたか打たれ、脚を骨折したという噂が既に広まっていたが、 本人は、その事には触れてくれるな、と言いたそうで、どこか元気がなかった。 それきり、店に姿を見せなくなり、店主は、半期の決算ごとに「孔乙己欠十九銭」と呟いたが、じきに気にかけなくなった。 その後の消息はなく、恐らく死んだのだろう。
外に出ると、店の右手に、臭豆腐という、お惣菜のようなものを、その場で調理する厨房が張り出している。
向かい側には、輪タクの列が…。ここを訪れる観光客が相当多い、という事か。
私は、孔乙己の銅像に人が群れていない状態を捉え、カメラマンさんに、「撮ってください」と、半ば強引にデジカメを渡した。 すると、誰とも知れぬオジさんが近づいてきて、私に帽子を持たせようとする。
身振りで、かぶれ、と。ああ、写真撮るなら、中国の帽子をかぶりなさい、と。 咄嗟に、あとで法外な金額を請求するつもりか、と、辞退しようとしたが、カメラマンさんは、被れ、被れ、という目くばせ。 民族的互助精神か。 ともかく、私としては大変珍しい事だが、被写体になる。
オジさんは、金をせびる事はしなかったが、私から手渡した。但し5元(約81円)である。オジさん、やや苦笑いを浮かべて受け取る。
さあ、次へ行きましょう。時計は8時17分。
小説の引用は長かったが、この間、12分しか滞在していない。いやはや、ここに格安旅行の本質がある。
「ありゃ、なんじゃ?」
ところで、ここはどこかと申しますと、蘭亭です。 聞き覚えのある人はいますか? そう、書道の大家・王羲之(おうぎし)が「蘭亭序」を書いたのは、ここ、蘭亭で曲水の宴を催した事に因んでのものだ。 「かなり昔の事ですよ。唐より前」 私は、あらかじめ携帯電話に受信させたメモを見ながら、一行に説明した。 「隋の頃ですか?」 家族連れの主人が食いついてきた。 ![]()
「隋より前か…。随分前ですね!」 「ははは、御上手」 ガイドさんがヨイショして 「トーキンです」 「え?」 私は一瞬、「東金?そんな王朝があったのか、五胡十六国とか、五代十国とか、あったな。その内のどれかだっけ?」 と頭の中がパニックになったが、そこに説明板があり、漢字で確認すると、「東晋…あー、トーシンですよ、これ!」
といっても、現存する碑は、日本で言えば江戸初期のものである。今から1650年前の人である王羲之が、直接、この石に字を刻む事は有り得ず、 筆跡を書写して、刻んだものである。 しかし、その筆の原紙は、何代にも渡り、書写を重ねたものであって、どこかの段階で、全く似ても似つかぬ他人の筆跡に置き換わってしまう事もあり得る。 その事は、蘭亭序についても言えよう。 但し他人の筆であったとしても、かなりの達人であった事には変わりあるまい。
その先、橋を渡って進むと「蘭亭」碑。これも日本でいう江戸時代の作だが、文化大革命の時、「亭」字が傷つけられた上、側溝に投げ捨てられたのだとか。
その後、水中から引き上げられ、元の位置に戻したが、傷ついた「亭」は、復旧しようがない。
歴史的遺跡を破壊する政治勢力は、自らの歴史的栄光もあり得ない。
さて、その先にあるのは「流觴亭」で、その正面の庭に、曲水の宴のための流水が設けられている。 曲水の宴とは、曲がりくねった人工の水流を庭に設け、その流れのふちに出席者が座り、流れてくる盃が自分の前を通り過ぎるまでに漢詩を読み、出来なければ罰として盃の酒を飲む、という趣向である。 この日は、中国全土から、詩の名人が集まり、実際に曲水の宴を行おうとしていたため、庭は立入禁止になっていた。
その先は「御碑亭」。「御」という文字は、中国では皇帝に関わるものにしか付けない。つまり、清の皇帝の筆跡になる碑文であるが、我々は、この建物の前で記念写真を撮っただけであり、 碑を間近に見る事はしなかった。
その碑の手前に、石板がいくつか置かれ、古代服の子供たちが、筆を水につけ、水の文字を書いて練習していた。 ガイドさんも、こうして習字の練習をしたらしい。 ガイドさんが子供に「蘭亭の蘭を書いてごらん」というと、子供は簡体字で書いた。「ソ」を「三」の上に乗せたもので、繁体字(旧字体)とは似ても似つかないものである。 「繁体字で書いてごらん」というと、繁体字は知らない、と。「草かんむりに門に東」 子供は門も簡体字しか知らないので、ガイドさんの書いた字を見て、滅茶苦茶な書き順で似せて書く。 次の東も簡体字しか知らない。「一」に「L」に「小」を重ねながら上から下へ。 実は、蘭亭の蘭の門の中は、簡体字の東でもなく、「束」の中は、「一」に非ずして「ソ」である。こうした事を、 ガイドさんは、子供に物知り顔で教えたいのだが、何しろ繁体字の知識が全くないものだから、ガイドさんの蘊蓄にもついていけないのである。 ガイドさんは、私とほぼ同年代で、中国においても、世代のギャップは大きいようである。
ここでバスに戻る。次は、いずこへ。それは次回のお楽しみに。 (つづく) (1)出発 | (2)中餐 | (3)烏鎮 | (4)紹興 | (5)孔乙己 | (6)紹興酒 | (7)七層塔 | (8)西湖十景 | (9)杭州の夜 | (10)杭州の朝 | (11)太湖 | (12)恵山寺 | (13)地鉄 | (14)中国茶道 | (15)豫園(最終回) |
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