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平成十九年十月廿八日
(Last updated : 2007.12.1)
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Tour

美しき江南4日間


(5)

地中海レストラン 相変らわず日曜の朝早い時刻。だのに何故この賑わいなのか。まるで農村生活の体内時計が健在のまま、一気に都市化したような。

いやいや、要は人口である。紹興市だけで広島県岡山県を合計したくらいの人口があるのだから。 その一部が路上に出ただけでこの有様である。 もし平日の通勤途上であれば、こんなものでは済まなかったかもしれない。

交差点 市街地へ近づいている。イスタンブール、トルコ、及び、地中海レストランがある。 交差点を、自転車・バイク・輪タクが行きかう。

をを、麦当労(マクドナルド)だ。他にも賢徳基(ケンタッキー)は、この後も、よく見かけた。

マクドナルド 程なく、バスは、とある料理店の前で我々を降ろした。

咸享(シェンシァン)酒店である。 写真に刻まれた時刻は8時5分。 な、なんで?まだ8時5分?ううむ。皆が8時になる前に集合したので、少し早く出発したのかな?よく分からない。

咸享酒店 さて、店の前では、 中国の有閑マダム5〜6人の団体が、記念写真を撮っている。 皆、何かに寄り添うような格好で、カメラを見ている。

銅像 実は、彼女らが取り囲んでいたのは、孔乙己(コンイーチィ)という人物の銅像だ。 昔風の衣服だが、どことなく飄きんである。

カウンターエリア お店の左手は、幅広のカウンターでカギ型に囲われた土産物売り場である。 中央部は、屋外に向かってオープンなスペースにテーブルと椅子が並んでいる。 その向こうの壁には、書の額がかかっており、 「小さい店だが、評判は絶大」とか「何年も寝かせた老酒に人は皆べろべろ」などの言葉に挟まれて、 「上大人孔乙己…」と意味不明の言葉が並んでいる。

額 これは、子供の習字の手本に使われるポピュラーなフレーズだそうで、「孔子が〜したところ、…」と、意味もあるらしい。 そう言われてみると、止めたり、はねたり、弧を描いたり、少ない画数の中に色々な要素があって、習字の練習にはなりそうだ。 孔乙己(コンイーチィ)という人名は、従って本名ではなく、あだ名である。


…って、誰なんだ、ソイツは!


実は、魯迅の短編小説の主人公である。 「吶喊」という短編集に含まれており、岩波文庫なら「阿Q正伝」に収録されている。 何を隠そう、魯迅は紹興市の出身で、故居も、この付近にある。 咸享酒店は、その小説に登場する、飲み屋兼レストランなのであった。

時代背景は、ちょうど烏鎮茅盾が生まれた頃だ。

孔乙己は、知識階級の出身だが、科挙の試験に合格できず、ていうか、科挙の受験資格を持つ「秀才」にも合格できない中途半端な人物であった。 孔乙己は、時々、咸享酒店に飲みに来るが、 科挙の勉強をしていた分、手に職もなく、ろくに収入がないので、奥の方の椅子には座らず、 労務者がたむろす手前のカウンターで紹興酒を注文する。 彼は、搾取される階級ではないが、その中途半端さゆえに、却って工人(プロレタリアート)たちから見下される存在であった。

そう言えば、茅盾の父も、科挙の第一次試験である郷試に合格できなかったが、「秀才」ではあった。 孔乙己の場合、長年ガリ勉していて「秀才」にすらなれない、という点が致命傷だったと思われる。 実は、茅盾の父もそうだったが、孔乙己は書道の覚えがあり、お店の看板を書くアルバイトは、結構いい稼ぎにはなった。 しかし、孔乙己は酒に酔って注文を忘れたり、ちゃらんぽらんな所があって、次第に相手にされなくなるのだ。 ただ、美点としては、飲み屋のツケの払いがよかった。ホワイトボードに名前と未払金額を書かれても、大概は間もなく消える。

ホワイトボード カウンターに寄りかかって、孔乙己は、8銭で紹興酒を2杯注文し、1銭で、茴香(ういきょう)豆(ソラマメに香料で味をつけて煮たもの)を追加する。 10銭以上だせば、肉類の皿が取れるが、そこまでの金はない。 孔乙己茴香豆 酒を2杯頼むのは、この土地のブリキ製のお燗の道具が、1回2杯分の分量を温めるので、2杯ずつ注文するのが通例だったとか。 私は、旅の3日目製のお燗の道具を購入した。なるほど、湯につける筒状の容器は、2杯分に相当しそうである。 この容器は、写真に残す前に、中華料理店を営む友人に譲ってしまった。 しかし、そこで紹興酒の燗を注文する魂胆であるから、後日、ここに写真を掲載する事はできる。

茴香豆の方は、数時間後、別の土産店で購入したものの写真を掲げておく。辛い味付けと塩コショウ味と2種類、それぞれ5元(約81円)。 真空パックなので日持ちはよさそうだ。なので、塩コショウ味の方は、原稿を書いている今日現在、まだ手をつけていない。 噛むと弾力があり、独特の味が染みだし、中々いける。 メニュー

さて、孔乙己は19銭のツケを残したまま、姿を見せなくなり、半年後に現われた時は、杖をついてビッコを引いていた。 分限者の家から本を盗みだそうとして見つかり、体中をしたたか打たれ、脚を骨折したという噂が既に広まっていたが、 本人は、その事には触れてくれるな、と言いたそうで、どこか元気がなかった。 それきり、店に姿を見せなくなり、店主は、半期の決算ごとに「孔乙己欠十九銭」と呟いたが、じきに気にかけなくなった。 その後の消息はなく、恐らく死んだのだろう。

中庭 この小説は、当初、読者は、労務者とともに孔乙己をあざ笑う側にあるが、次第に可哀そうになってくるよう、巧妙な仕掛けがある。 猛烈に勉強をしても、社会に出て収入に結び付かない、という事は、現代の日本でも珍しい事ではなく、 私なぞも、脳の共感細胞が反応する。

酒壺 さて、現在の店のメニューを見てみよう。茴香豆6元(約97円)に対し、醋椒鱸魚35元(約565円)。肉というか、魚料理が高い。 茴香豆 店の奥は中庭になっており、2階建の建物が見える。これは宿ではないか、と思う。 咸享酒店は、ホテルで買った地図には、★★★ホテルとしてリストされている。

臭豆腐 右手に紹興酒の酒壺が並んでおり、店の人が、仕事の必要上か、パフォーマンスか不明だが、重そうに運び出す。 左手は2階への階段で、壁に茴香豆の解説がかかっている。中国人にとっても、珍しい、土地の名物なのだろう。 それと「足元注意」(中国語で「小心ナントカ」)。おやおや、中国人も段差につまづくのか。

外に出ると、店の右手に、臭豆腐という、お惣菜のようなものを、その場で調理する厨房が張り出している。 向かい側には、輪タクの列が…。ここを訪れる観光客が相当多い、という事か。 輪タク

私は、孔乙己の銅像に人が群れていない状態を捉え、カメラマンさんに、「撮ってください」と、半ば強引にデジカメを渡した。 すると、誰とも知れぬオジさんが近づいてきて、私に帽子を持たせようとする。

記念撮影 「な、なに、これ?」

身振りで、かぶれ、と。ああ、写真撮るなら、中国の帽子をかぶりなさい、と。 咄嗟に、あとで法外な金額を請求するつもりか、と、辞退しようとしたが、カメラマンさんは、被れ、被れ、という目くばせ。 民族的互助精神か。 ともかく、私としては大変珍しい事だが、被写体になる。


建物

オジさんは、金をせびる事はしなかったが、私から手渡した。但し5元(約81円)である。オジさん、やや苦笑いを浮かべて受け取る。

さあ、次へ行きましょう。時計は8時17分。 小説の引用は長かったが、この間、12分しか滞在していない。いやはや、ここに格安旅行の本質がある。 アベックの二人乗り 元来た道を引き返し、市の西南方へバスを走らす。 交差点の立派な建物。横断歩道を行きかうバイク、自転車。仲よさそうなアベックの二人乗り。

「ありゃ、なんじゃ?」

文化公園 ピラミッド風の現代建築と六層塔が並ぶ何とか文化公園…。けばけばしい赤いアーチ。 今、1200万画素に物言わせ、原寸大で確認してみると、「熱烈祝賀第4回魯迅文学賞」と。 をを!この日の前々日、10月26日に、大江健三郎「さようなら、私の本よ!」の中国語訳が、第4回魯迅文学賞を受賞した旨、 日本の新聞でも見かけたっけ。魯迅の生地・紹興で、熱烈に祝賀されていたとは、予想外であった。ここは、8時23分

男の子 女の子 さて、次第に景色が田舎じみて行き、しばらく黙々と走り、やがて、大きな岩場に、古代中国の服装に扮した人たちが屯す異様な光景に行き当たり、 バスは右折して公園に入って行った。およそ8時45分

拓本 バスを降り、公園の入口へ向かう道筋に、古代服の子供たちが沢山いて、書道をしている。 テレビの取材も来ている。今日は特別なイベントが行われているようである。 少し進むと、女性が拓本に専念していた。拓本の工程じたい、珍しい。

ところで、ここはどこかと申しますと、蘭亭です。 聞き覚えのある人はいますか? そう、書道の大家・王羲之(おうぎし)が「蘭亭序」を書いたのは、ここ、蘭亭で曲水の宴を催した事に因んでのものだ。

「かなり昔の事ですよ。唐より前」 私は、あらかじめ携帯電話に受信させたメモを見ながら、一行に説明した。

「隋の頃ですか?」 家族連れの主人が食いついてきた。

案内図

蘭亭 「いや、隋よりも前。しかし三国志よりは後」

「隋より前か…。随分前ですね!」

「ははは、御上手」 ガイドさんがヨイショして 「トーキンです」

「え?」

私は一瞬、「東金?そんな王朝があったのか、五胡十六国とか、五代十国とか、あったな。その内のどれかだっけ?」 と頭の中がパニックになったが、そこに説明板があり、漢字で確認すると、「東晋…あー、トーシンですよ、これ!」

入口 東晋なら分る。三国時代ののあとが中国を統一したが、じきにモンゴリアンが南下して、晋を滅ぼしたが、 晋の一王候であった司馬睿が、今の南京に逃れ、晋の亡命政権を打ち立てた。これが東晋であり、南北朝時代の幕開けである。

コンパニオン1 それはともかく、天然の土塁状の突き出しの先端を削って石を貼り、蘭亭と刻んで、文字を朱く塗っている。 その先に山門がある。 土塁状の突き出しは、実際、庭園区域を軍事的に防衛する機能を担っていた時代もあったのではないか、 と連想させ、にわかに城跡めぐりの血が騒ぎ出した。

コンパニオン2 が、入口を入ると全くの観光用の庭園であり、突きあたりは鶴池という池で、アヒルが遊んでいる。 アヒルの前に目に留まるのは、あでやかな古代衣装をまとった娘たちである。 アヒル 当然、見物されるために立っているコンパニオン的存在である。 なので、恐る恐るカメラを向けるが、こちらに顔を向けてニコリと微笑んだりする。 この雰囲気なら一緒に写真に入ってもらえるかも、と思う間もなく、中国人の観光客が飛び込んできて、私が思いついた事を先取りされた。

「鵞池」碑 「鵞池」碑。王羲之と息子が一字ずつ書いたので筆跡が違うのだとか。

といっても、現存する碑は、日本で言えば江戸初期のものである。今から1650年前の人である王羲之が、直接、この石に字を刻む事は有り得ず、 筆跡を書写して、刻んだものである。 しかし、その筆の原紙は、何代にも渡り、書写を重ねたものであって、どこかの段階で、全く似ても似つかぬ他人の筆跡に置き換わってしまう事もあり得る。 その事は、蘭亭序についても言えよう。 但し他人の筆であったとしても、かなりの達人であった事には変わりあるまい。

「蘭亭」碑 ところで、「鵞池」碑は、記念写真を撮る客が後を絶たず、何枚も撮りなおしたが、結局、最初に撮った動画の出だし、古代娘が荷を提げた竿を担いで、通り過ぎるの図が一番よかった。

その先、橋を渡って進むと「蘭亭」碑。これも日本でいう江戸時代の作だが、文化大革命の時、「亭」字が傷つけられた上、側溝に投げ捨てられたのだとか。 その後、水中から引き上げられ、元の位置に戻したが、傷ついた「亭」は、復旧しようがない。 歴史的遺跡を破壊する政治勢力は、自らの歴史的栄光もあり得ない。 曲水宴

さて、その先にあるのは「流觴亭」で、その正面の庭に、曲水の宴のための流水が設けられている。 曲水の宴とは、曲がりくねった人工の水流を庭に設け、その流れのふちに出席者が座り、流れてくる盃が自分の前を通り過ぎるまでに漢詩を読み、出来なければ罰として盃の酒を飲む、という趣向である。 この日は、中国全土から、詩の名人が集まり、実際に曲水の宴を行おうとしていたため、庭は立入禁止になっていた。

御碑亭 その代わり、「流觴亭」の縁側も、子供達が書道をしていた。ここの子たちは、入口の手前にいた子供たちよりも、数段レベルが高い様子であり、 今日、蘭亭でパフォーマンスを演じられるのは、審査を受けた選ばれた者たちだという事が伺われた。

その先は「御碑亭」。「御」という文字は、中国では皇帝に関わるものにしか付けない。つまり、清の皇帝の筆跡になる碑文であるが、我々は、この建物の前で記念写真を撮っただけであり、 碑を間近に見る事はしなかった。

「太」碑 その先は広場のようになっていて、「太」字の碑文があった。ガイドさんの解説によると、王羲之の息子が「大」の字を書いていて、中々納得のいく形にならなかったが、 ふと点を打ってみると、とてもバランスがよく落ち着いた文字になった、という。「太」字誕生秘話である。

その碑の手前に、石板がいくつか置かれ、古代服の子供たちが、筆を水につけ、水の文字を書いて練習していた。 ガイドさんも、こうして習字の練習をしたらしい。 ガイドさんが子供に「蘭亭の蘭を書いてごらん」というと、子供は簡体字で書いた。「ソ」「三」の上に乗せたもので、繁体字(旧字体)とは似ても似つかないものである。

「繁体字で書いてごらん」というと、繁体字は知らない、と。「草かんむりに門に東」  子供は門も簡体字しか知らないので、ガイドさんの書いた字を見て、滅茶苦茶な書き順で似せて書く。

次の東も簡体字しか知らない。「一」「L」「小」を重ねながら上から下へ。 実は、蘭亭の蘭の門の中は、簡体字の東でもなく、「束」の中は、「一」に非ずして「ソ」である。こうした事を、 ガイドさんは、子供に物知り顔で教えたいのだが、何しろ繁体字の知識が全くないものだから、ガイドさんの蘊蓄にもついていけないのである。 ガイドさんは、私とほぼ同年代で、中国においても、世代のギャップは大きいようである。

楽池 ここで、我々日本人を奇異な目で観察していた中国人のオジさんが、子供から筆を奪い、ガイドさんの説明を解説するかのように、簡体字の「東」・繁体字の「東」・「蘭」の中の「東」を書き分け、 最後に、繁体字の「蘭」を書いて見せた。これが相当の達筆だったので、日本人が賞賛の声を上げると、満足そうにしていた。 或いは、書道の聖地・蘭亭にあこがれ、はるばる遠くからやってきた、書道家なのかも。

蘭亭酒楼 そこからは、「楽池」という大きな池の前を、背後に山が連なる日本的な景色を楽しみながら、通り過ぎ、出口へ。 すると、途中、みやげ屋の姉さんが、蘭亭序が書かれた扇子を見せて「10元(約161円)」というので、では買いましょう。すると店内へ引き入れ、もっと高い扇子を紹介する。 10元のでいいんだというと、俄かに無愛想に豹変した。 出口を出たところ「蘭亭酒楼」という休憩所から土産物屋が並んでおり、「孔乙己軟茴香豆」を見つけたのは、その中の一軒である。この時、9時40分。園内は45分くらい滞在したのである。

ここでバスに戻る。次は、いずこへ。それは次回のお楽しみに。

(つづく)


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