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平成十九年十月廿八日
(Last updated : 2007.12.30) | ||||||
Tour
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美しき江南4日間 |
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銭塘江大橋を渡り、六和塔を左に見過ごしながら、虎足包路という大きな道を山手へ登って行く。 レストランなど観光地らしい建物が並んでいる。 日曜日。中国人のカップルやら家族づれやら、結構な人手である。 と、道路の左手に動物園。 中国まで来て、動物園で時間を過ごしたいとは思わない。 この道は、まっすぐ行けば西湖だが、バスは途中で左折し、満覚隴路へ入る。 傾斜と蛇行の道である。
そう。 バスは、中国でもっとも有名な緑茶の産地、杭州龍井山園へ向かっている。 私における「西湖龍井茶」は、神戸の中華街で、100g1,200円で買ったのが最初で、 次は、今年1月の上海隠密行にて、空港で買い求めたのが、75g60元(約970円)。 神戸のは、賞味期限が2005年に切れているが、当然、それ以前に買ったものである。 当時、インターネット通販で「蘭桂花」というウーロン茶に蘭と金木犀の香りを刷り込ませたオリジナル作品に魅了され、 中国緑茶、というジャンルに気持ちが向いていなかった。 また、「西湖龍井茶」には、何となく、幻の超高級茶、という大げさな先入観があり、 100gで1,200円なら、どうせ粗悪品なのだろう、という諦観もあって、 更に、茶の缶を、福原かミさまが、香辛料入れケースの奥深くに収納してしまってからというもの、 何年も放置されていた。 今年のは、空港で売っている以上、それなりの品質のはずだし、製造日も新しいので、飲んでみると、やはりいい。 それでも、日本の高級緑茶の足元にも及ばぬ、B級グルメの範疇だな、と思って、余り気にも止めていなかったのである。 だが、味の好みは、繰り返したり、慣れることによって変わってくる要素もあるのか、 ある日、熱湯を注いで、一煎めをすすった時、「うめぇ!」と感嘆してしまった。 烏龍茶は、「凍頂烏龍茶」などは中々渋とい方だが、繰り返すうちに急速に飽きがくる傾向は否めない。 「龍井茶」は慣れるに従って、深く味わえるようになってきた。 そこで、神戸で買った缶を、とある休日、しつこく探し出し、賞味期限を2年経過した茶を淹れてみたが、これも、負けず劣らずいけるではないか。 (2煎め以降は急速に弛むのだが) なので、今や残り少ない上海空港のを惜しみ、また、いつ旅行に行こうかと思案し始めているところである。
さて、バスの窓から茶畑が見えてきた。
「歓迎!浙江大学力学87同学」
力学というのは物理学か、工学であろうか。87年卒の同窓会なのだろうか。 基本的にレストランである。 日本人客よりは、中国人の方が主流のような。
今、写真を見ると、映像的には旨そうに見え、垂涎を禁じえないが、 現場で舌鼓を打ったという記憶は蘇ってこない。 食後、店員がものを売りにきた。 一つは、味付け梅干しの菓子である。3袋か4袋かのセットで1,000円。 個人経営者と思しき人が、従業員の土産にする、と言って、大量にまとめ買いした。 次に来たのが、紹興酒を燗にする器である。1個2,000円である。 「孔乙己」に出てくる器具なので、ををっと惹き付けられたが、 何となく2,000円には値しないだろう、と思って、我慢することにした。 旅慣れた初老の人が購入した。 皆がトイレなど済ませている間、一足先に外へ出た私は、停めてある車を眺めて回った。
長安汽車「長安の星U」
ジロジロ見ていると、中国人の観光客が気味悪そうに、こちらを見ている。 この車、今日の中国人には、どのくらいの高嶺の花なのか。 2、3年の収入を貯金して買うくらいの、悲壮な決意だったのか。 それとも、ごく一握りの上流階級なのか。
と言いつつ、その場は、何も殺気立つ気配のない、長閑な、お昼過ぎの駐車場であった。
庭に、変な石柱が立っていた。
13時35分ごろ出発! ここでも、食事時間は正味30分足らず。豪華なファーストフードであった。 ほとんど、銭塘江大橋まで来た道を引き返すが如く、六和塔に至る。
丘の上に聳える六和塔は、高さ59.89m、北宋時代、日本でいえば平安後期、銭塘江の高潮を鎮めるため、呉越国王銭弘俶によって建立された。 「六和」とは、東・西・南・北・天・地の六方の調和を願う思いが込められているらしい。 元は「九層八角」の塔であったが、1121年の内乱で破壊され、南宋時代、日本で言えば、後白河・清盛の頃、「七層八角」の塔として再建された。 現在の六和塔は、1899年に修復されたもので、外観は13層に一新された。
七層塔といえば、安土城の天主閣も、そうだ。 近世城郭における天守閣は、安土城より少し先行したものがあるように記憶するが、 自ら「天の主」たらんとした信長のそれは、中国様の建築も含まれる印象的な塔である。 伝え聞く六和塔をモチーフとしている可能性も考えられよう。 その七層塔の写真の隣に、1919-24撮影の13層塔がある。 並べて比べると、全く別物に一新された感があり、てっきり老朽化した七層塔は破却され、 まるっきり建て替えられたものと思いこんだ。 それで、バスの中でも、人にはそのように訳知り顔で語った。
塔の入口では、空港の荷物審査のような機会にリュックを通す事を求められた。 文化財の爆破を狙ったテロを恐れているのだろうか。 最初の2、3層は、中央に心柱が通っておらず、一つの部屋になっており、天井は、日本のお寺や五重塔などでもお馴染みのカラフルな装飾がなされていた。 部屋の周囲は、各層ごとに一周しながら展望できるようになっており、内側にパネル展示もあったりしたが、 内側の部屋の高さと外縁の展望廊下の高さが食い違っていた。 どうやら、外側は13層だが、内側は、昔の7層のままである。 「ガイドさんも建て替えたとは言っていませんでしたね。外側だけ修築したのではないでしょうか」 旅慣れた初老の人は、私の説明の間違いに目ざとく気づいたのである。 一行は、外の展望はお預けにして、ひとまず頂上を目指す。 7層の3層目あたりから、中心に心柱が通っていると見え、石の階段がらせん状になっている。 日本の五重塔は、心柱が地面まで貫通しているのが、普通だが、厳島のそれは、2層目でとまっており、初重の中央部は、須弥壇として仏像を置く場所になっている。 これが耐震構造上、問題がないかどうか不安視されていたが、最近の模型による実験で、心柱が途中で止まっていても耐震性に差異がないことが確認された。 どうやら、六和塔の内部は、平安末期の建築がそのまま残っているらしい事からすると、 厳島の五重塔も、安土城と同様、中国の六和塔に関する天文初年(1535年ごろ)当時の人の知識が反映されている可能性がある。 先行していたはずの私は、いつしか、初老の人たちの軽々とした足取りに、置き去りにされていた。
最上層からの展望は、靄が深く、水墨画といえば水墨画、灰色と言えば灰色一色の風景が広がっていた。
銭塘江!
集合時間が迫っているので、そそくさと降りる事にするが、途中の層からの景色も楽しもう。 実際、下の層の方が、銭塘江大橋の眺めは迫力があった。 そこから、バスは動物園の前を三度通り過ぎ、向かう所は、かつて清の皇帝の行楽地であった西湖である。 (つづく) (1)出発 | (2)中餐 | (3)烏鎮 | (4)紹興 | (5)孔乙己 | (6)紹興酒 | (7)七層塔 | (8)西湖十景 | (9)杭州の夜 | (10)杭州の朝 | (11)太湖 | (12)恵山寺 | (13)地鉄 | (14)中国茶道 | (15)豫園(最終回) |
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