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平成十九年十月廿八日
(Last updated : 2008.1.3)
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Tour

美しき江南4日間

(8)西

バスは西湖の西岸を北上していく。

後で調べてみると、この湖は、約12,000年前に干潟が形成され、漢代に淡水化し、唐代に西湖と呼ばれ始め、宋代にその名称が定着したそうである。

南北3.3q、東西2.8qで、外周は15qとの由であるから、レンタサイクルなら難なく一周できるほどの大きさである。

ガイドさんは、清代の皇帝の別荘、というか、行楽地だったと言っていたように記憶するが、この事は詳しくは確認できない。

…と、湖のある右手に、「曲院風荷」への入口を示す標識が目に留まる。

曲院風荷は、西湖十景と呼ばれる観光スポットの一つである。 そこは、南宋初期の「宮廷酒造所」の跡で、西湖に流れ込む清水で酒を造ったのである。 清の康煕帝が南方視察して以降、曲院と呼ばれるようになった。 その後、湖には蓮が植えられ、蓮の花が開花する頃、酒と蓮の花の香りが風に乗って漂うことから、「曲院風荷」と呼ばれるようになる。 現在の曲院風荷は1980年に復元され、蓮の花を観賞できる夏の名所となっているそうだ。

岳廟 バスから左手に、長い赤壁が続いたと思ったら、「岳廟」というお寺だった。

南宋の武将・岳飛(1103年 - 1141年)を祀っている。 岳飛は、北方の金と度々戦って武功があったが、彼の台頭を恐れた和平派の宰相に毒殺された。 時代的にも人物像的にも、中国の源義経と言えそうである。

学士 墓の近くに、毒殺した宰相とその妻らがひざまずく像があり、訪れる観光客が吐きかける痰や唾にまみれているそうである。

程なくバスは、西冷橋(冷は、正しくは、サンズイ+令)という橋を渡って、湖に浮かぶ孤山という島に渡り、遊覧船の桟橋の前で下車した。

学士」という名の、20人乗り程の屋形船が、我々を待ってくれていた。

この時、14時53分。 到着するまで、ガイドさんが忙しなく携帯で打ち合わせしていたが、行程が遅れていたので、 他の観光客を退けて船を確保しておくことが難しかったのかもしれない。 湖上から孤山南岸

一行は、半分は、屋形内部の座席に着いたが、半分は、外のデッキに出て風に当たりながら風景を楽しむ事にする。 私は後者に属した。 コンサート会場

出航して最初に目に留まったのは、歴史的景勝地のイメージには似つかわしくない、人工的な構築物が、左手の湖上に浮かんでいる姿であった。 コンサート用の臨時のステージとの由。 その夜のホテルのテレビで、コンサートの様子が放送されていたそうである。 これは、旅慣れた初老の人の談。 この時の私には、視界の妨げとしか映らなかった。 阮公トン

前方に小さな島がある。島の名を阮公トン(トンは、土へん+敦)と云う。西湖に浮かぶ3つの人工島の内、最小の島である。 1809年、西湖の治水事業の際に、浙江省の官吏・阮元が建造した島で、島内の環碧荘では、夏の夜、観光客向けの劇やパフォーマンスが開催されるのだそうだ。 湖心亭

その左にも、もう一つ島があり、湖心亭と云う。三島のうち最古の人工島で、1552年に作られた。 そこには、清の乾隆帝の「虫二」の碑がある。「虫二」は「風月無邊」という意味だそうだ。

間もなく「学士」は、特設ステージの近くを通過し、細長い砂洲が孤山から西湖の北岸へ続いているのを望む。 この砂州は、杭州太守であった白楽天(772〜846)が造った、西湖では最古の堤防で、名を白堤と云う。 白堤

白堤や孤山を、西湖北岸の小高い場所から撮影した、横に細長いパノラマ写真が、広島大学図書館で借りた「近代杭州図集」に収録されている。 しかも、1919年以前のものと、1929年撮影のものと、おおむね似た構図で2枚あり、比較してみると興味深い。

1929年という年は、西湖博覧会が開催されたらしく、正面大門での人だかり、自動車の通行、ボックス状のチケット売場なども図集に収録されている。 時代を飛び越えて、熱気が伝わってくる。

この博覧会を機に、西湖北岸地域において大きな建物が増え、観光地としての開発が一段と進行した事を、2枚のパノラマ写真は物語っている。

実は、私は、旅行直前にもこの本を借り、持参していた。 デッキでリュックからこの本を取り出し広げると、カメラマンさんが興味を示した。

白堤は、が交互に植えられ、春の開花期は絶景だという。今もびっしりと植樹が並んでいる。 堤上には、黄色いテーブルと椅子が置かれ、オープン・テラスのようになっており、大勢の人がくつろいでいた。

白堤と孤山によって仕切られた湖の北側の狭い部分を、北里湖という。 白堤の中央部に、錦帯橋という長い石橋がかかり、湖水は、中央の丸い刳り抜きによって繋がっている。 錦帯橋

橋の形状は独特である。白堤は、堤と言っても、湖面との高低差がほとんどなく、まさに砂洲と呼びたくなる状態であるから、 橋の方で緩やかなカーブを描いて、波のようにせり上がっている。明らかに、真ん中の刳り抜き部を使って、舟に堤を横断させるための構築物である。 陸上の人が川を横断するための橋とは、立場が逆なのである。

その錦帯橋上も、人だかりであった。 白堤は、自動車通行禁止なので、遊歩道としてはお誂え向きのスポットなのだ。

湖上の舟 白堤の東端、つまり北岸の根元にも、断橋という石橋がかかり、冬、そこに雪が積もった景色は、「断橋残雪」といって、これも西湖十景の一つだ。 今は、雪もないし、「学士」も、敢えて断橋の見えるところまでは進まず、南へ遠ざかって行ったが、図集には、1921年頃の雪景色がしっかり収録されていた。 但し、積雪に何の価値があるのか、写真からは察せられない。 この写真の魅力は、橋の最高所に、男が一人たたずんで遠くを見ている所にあり、彼を意図的に配置したのか、偶然、そこに立っていたのか、 いずれにせよ、機を逃すまいとした撮影者の気負いを感じる。 更に、橋の刳り抜き部には、小舟が一艘、接近しつつあった。

インターネットで仕入れた記述によると、中国の書物に、幾つかの説明があるようで、その一つを紹介する。

大雪が降った後、西湖北岸の宝石山から南側を見下ろすと、北岸と白堤が鎖のように繋がって見える。 やがて太陽の光が当たり、「断橋」の雪が溶け出すと、石橋の褐色が部分部分顔をのぞかせるため、 白堤の白い雪の鎖が切れそうに見えることから「残雪」という表現が使われ、「断橋残雪」と呼ばれるようになった。

また、断橋には、中国の民間伝承『白蛇伝』のヒロイン・白娘々(パイニャンニャン)と許仙が出会った場所として言い伝えられている。

『白蛇伝』のストーリは知らないが、白娘々は、日本で言えば「かぐや姫」に相当するくらい知名度があるようである。

「ヘビは女性の象徴なのです」

とカメラマンさんは補足する。 錦帯橋と保俶塔

先ほど登場した宝石山に聳え立つ細長い石塔が、湖上から白堤越しに見える。 「保俶塔」と云う。カメラマンさんは、このスリムな塔も女性の象徴だといい、白娘々と関係があると云う。 ただ、真偽は確認できないし、私の聞き違いかもしれない。

図集をめくっていたカメラマンさんは、「運河渡口」という1891年以前の写真に目を止めた。 荷物を満載した船を運河に移動させるため、立派な角を生やした牛6、7頭に綱を引かせている。 男たちが、牛の背に乗ったり、牛自体を引いたりして制御している。 いかにも前近代的な、重労働的な光景である。

カメラマンさんは、「そうそう、昔は実際こうだったんですよ」と、いかにも自分の幼いころを思い出すような口調で語った。

何でも、幼い兄妹が、荷を積んだ船を川に引きずりおろす仕事をしている様子を歌った童謡があるらしい。 中国版「安寿と厨子王」か…。

さて、「学士」が南に進むと、前方に、綺麗な塔が見えた。

雷峰塔 雷峰塔である。

977年呉越国の王・銭弘俶(929〜988)の黄妃に子供が生れたことを祝い建てられた塔であるが、1924年に倒壊し、長らく失われた状態にあった。 今の塔は、2000年に復元され、西湖の新名所となったものである。 ここは、白娘々が閉じ込められた場所だそうだ。 西湖の東側から雷峰塔を眺めると夕陽が背後の南屏山に沈む様子が美しく、「雷峰夕照」も西湖十景の一つになっている。

しかし今は15時12分2〜30分程度、遊覧船で湖上を徘徊しているだけでは、十景のツボを押さえるのは至難の業である。

西湖三島の最後を飾る「小瀛洲」は、仙人が住む小島、という意味を持ち、1607年に作られた人工島である。

島の南に、西湖十景の一つ「三潭印月」がある。

それは、1621年建造の3基石灯籠二等辺三角形の頂点をなして湖上に浮かぶもので、蘇東坡が建てた三つの塔を模倣したものだそうだ。 三潭印月

高さ2mほどの灯籠には、中腹部に5つの穴があり、夜になるとその中に火を灯して、水面に映った月光を楽しむ。これが「三潭印月」の由来だそうだ。

石塔が囲む三角形の内側で、湖面に月が映る様を想像すると、確かに風情がありそうである。

ポッカリが出ましたら、を浮かべて出掛けましょう。はヒタヒタ打つでしょう、も少しはあるでしょう。 小瀛洲

さて、水上に浮かぶ石塔を見て、私は厳島の聖崎(ひじりざき)沖の石灯籠を思い出した。

あれは、水面下の暗礁の上に建てた物で、夜は火を灯して、付近の航行の目印になるだろうが、 昼間も、暗礁に塔を建てる事で、座礁事故を防止する役割を果たしている。 これもそうかな、不図思い、ガイドさんに、

「あの灯籠は、湖面近くに隠れた岩礁の上に建てたものですか」

と尋ねると、はじめは意味が通じていないようだったが、やがて、血相を変えて、

「何を言ってるんですか。違いますよ。湖底に建てたものですよ」

と答えたので、逆に私が絶句した。

しかし、実は、さほど驚くには当たらなかったのである。

西湖は、もとは干潟だったこともあり、平均水深は2.27m、最深部でも5mしかない。 人工島が容易に作れるのも、むべなるかなである。 いわんや石灯籠をや。

この辺り、遊覧船が行きかい、手漕ぎのボートで遊ぶ観光客も多かった。

15時25分頃、桟橋に戻り上陸すると、すぐさま、道路を渡った所にある施設へ入る。

西冷印社(冷は正しくはサンズイ)と云う。 西冷印社

西冷印社石碑 篆刻専門の学術団体で、印章の製造・販売や篆刻用品・書道用具の販売、書道関連書籍の出版・販売も行っている。 国内外の文人墨客・政治家などの印章を手がけ、その品質の高さに定評があるという。 清代末期の1904年4人の浙江省出身の篆刻家たちが、篆刻振興と伝統継承を目的として現在の位置に仮の本部を置いたのが始まりで、 1913年に正式に結社された。 しかし、1937年日中戦争に伴う日本軍の上陸と杭州占領により活動休止を余儀なくされ、 1946年中華人民共和国が成立すると、杭州市の公的管理に帰して実質的に活動が出来なくなってしまった。 さらに1966年から始まった文化大革命の標的となり多くの文化財が破壊された。 転機が訪れたのは1976年の「四人組」逮捕・失脚であった。 1978年から本格的に活動を再開し、1988年には日本で初の西冷印社展が開かれた。

金印碑 入口の庭には、案内板、古式ゆかしい建物、そして、印章をかたどった石碑があった。 孤山の傾斜にそって石段を上ると、亀の形の取っ手がついた印章の石碑もある。 漢の倭の奴の国王の印綬も、このようなデザインであり、歴史と伝統は半端ではない。

鳥居状のゲート 鳥居状のゲート。「静観」という篆刻を静観する。

静観 我々は、突きあたりの建物に案内されるが、そこは、掛軸や印章の売り場であった。 係員の日本語の解説を聞く。 日本の観光客には、特に朱肉がお勧めだという。 ずいぶん長持ちするそうである。 印鑑は、注文すると旅行が終わるまでに手元に届くよう手配するとの由。 今日は2日目だから、十分可能であろう。 掛軸は、GWなどは定価で飛ぶように売れるが、今は季節外れなのでお安くします、と巧い事を云う。

係員が指差した掛軸は、確かに絵が生き生きとして魅力的だが、 なにぶん高価で手が出ない。

私は、「月落烏啼霜満天」の漢詩の掛軸に眼がとまったが、2万5千円という事なので、やはり気軽には買えない。 しかも掛軸は荷物になるので、もう一つ踏ん切りがつかないのである。

係員も、「西冷印社」の伝統のプライドからか、押し売りはしない。 結局ここでは、誰も何も買わずに引き揚げる。

図書室 立ち寄った建物の隣は「山川雨露図書室」という優雅な額がかかっていたが、 相変わらず硯などの販売コーナーだった。 その上へも石段が続いており、何か展示がある様子だった。 一行はバスへ戻りつつあったが、折角なので、ちょっと見物しようと思い、うろつきかけた。 しかし、集団の和を乱すにはしのびず、下山することにした。

途中、女子中学生くらいの数名の集団があり、進路を塞いで写真を撮っていた。 服装が派手で、中国か、香港か、台湾か、想像がつかない。 あるいは、見た目よりも年長だったかもしれない。

バスに戻ったのは、16時を少し過ぎたくらいだったと思うが、これで今日の観光はおしまい。 移動距離が短い割に、狭い範囲を行ったり来たりして、落ち着かない一日だった。 宿も杭州市内だし、もう一か所くらい立ち寄りたいところである。

とは言いつつ、体は疲れており、どうでもよい気分も半分だ。

その夜、ちょっとした事件に遭遇する。 それは、次回のお楽しみである。

(つづく)


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