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平成十九年十月廿八日
(Last updated : 2008.1.20) | ||||||
Tour
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美しき江南4日間 |
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ホテル到着まで数分かと思いきや、そこは激安ツアー、観光エリアからは遠い、市街地の東端に立地するホテルへ向かうため小一時間かかるらしい。
その間、ガイドさんは、夜のオプショナルツアーの参加者を募集する。 この日は、宋城ショーである。 杭州といえば、宋代が華である。 なぜなら、宋の首都・開封は、1126年、北方の異民族国家「金」の手に落ち、 金に捕えられた宋の皇帝の弟が、南方に逃れ、杭州を都として宋を再興し、金と対抗した。 この時代(1127-1279)を南宋という。 日本で言えば、平清盛の登場から、鎌倉時代の前半までである。 当時の杭州は、「臨安」と呼ばれた。 現在も、杭州市の西に隣して臨安市が存在する。 臨安というと、私における思い入れは、コーエーの歴史シミュレーションゲーム「チンギスハーン蒼き狼と白き牝鹿W」である。 このゲームでは、裕福な臨安を陥落させることで、兵力や資金、兵糧に窮する事がなくなるため、 戦略上の要所であり、印象も濃いのである。 「蒼き狼と白き牝鹿」シリーズは、「信長の野望」、「三国志」に続くコーエー3部作の一角を占めるにも関わらず、 このW作目が1998年に発売されて以来、開発が中止された。 実は、私は、昨年、お蔵で眠っていたCDロムを掘り出して以来、 結構あそんでいる。 どうやったら最速で世界制覇できるか、という目標を置いた事によって、 半端な事では飽きなくなってしまったのである。 現在なお研究の余地を残している。 言帰正伝(話を元に戻す)。 宋城ショーは、インターネットで調べると「宋城」というテーマパークにある大劇場で行われる舞踊ショーらしい。 そのテーマパークは、いわゆる歴史村で、映画のロケにも使われたらしい。 が、今は激安ツアー、そのテーマパークで行われるものかどうかは怪しいので、ガイドさんに質問したが、 「テーマパーク」という言葉が通じず、「歴史村」と言い換えて、「ああ、そうです」と生返事。 それ以上は追及できず、危ないな、と思いながら、3,900円のその企画に挙手した。 ところがしばらくして、ガイドさんは、「最低催行人数が6人のところ3人しか応募がないので、先方に断られました」 と、決まり悪そうに告げに来た。 さてさて、秋の夜長をどう過ごそうか知らん、夜は治安悪そうだし。 ここからホテルまで、しばらく市街地を走り抜けるのだが、 そろそろ、窓から見る中国の景色にも飽きてきた。 そこで、しばらく読者の皆さんには、杭州にちなむ漢詩の紹介をしたいと思う。 今回のネタの出典は、東広島市立サンスクエア児童青少年図書館で借りた「漢詩歳時記<冬>」(角川書店)である。 まずは、西湖に関係する作品。 宋の時代にお住まいの梅堯臣さん作「雪を見て、その昔、銭塘の西湖に、林通さんを訪問した時の事を思い出した!」です。 昔、渡し船に乗って湖上へ漕ぎ出し、 林通は、先ほどまでいた「西冷(正しくはサンズイ)印社」のある孤山に、かれこれ20年、世を捨て隠棲していた人物で、梅堯臣は20代の頃、彼を訪問した。 それから程ない1028年に、林通は死去した。梅堯臣は、初対面の折り、会う事自体が大きな苦労だったのを、1047年に追想しているのである。 当時は、まだ3つの人工島も、断橋も、白堤も、錦帯橋も存在せず、孤山は、湖上に浮かぶ島であって、恐らくは、西湖の南岸から舟を出して、孤山の南側、丁度、我々の遊覧船の波止場のあたりに着岸したのではないか、と勝手に推測する。 推測はさておいても、この詩の眼目は、遠い昔に亡くなった超俗的な人物への追慕の情であり、それが、壮絶な雪かきの労力によって強調される面白みにある。 さて次なるは、同じく宋代の潘■(門構えの中に良)さん「霊隠寺に宿す」です。 寺を取り囲む千千万万の峰
奈良の大仏を知る日本人の目にも、桁違いに巨大な大仏があるらしく、日本人向けの観光スポットとして、かなりインパクトがあるようだ。 広島大学中央図書館にある「杭州図集」にも、1920年ころの写真が多数掲載されており、満州服の僧侶風の人たちが、カメラに向かって立っていたり、境内を掃除していたりする。 作者が一時的にお寺に泊めてもらったのだと思う。 現在も、上天竺・法喜寺の近くに、参拝者宿泊部屋があり、寝台なら一人20元(約320円)、ツインベッドルームなら一人150元(約2,420円)、粗食一人3元(約50円)、安くて仏教文化を体験することができる。 これは、この夜泊まったホテルのロビーにおいてあった日本語の「杭州観光案内」から引用した。 このガイドブックは、日本では入手困難な情報が満載で、大変貴重だが、引用箇所のページの見出しは、「杭州の宿泊施設」とでも訳すべきところ「住まいは杭州にある」などと、とんでもなく拙い翻訳なので、本文にもミスリーディングな表現が多々含まれている可能性がある。 詩の話に戻ろう。 この詩の魅力は囲炉裏である。原語は「地炉」。中国北方では、大昔から暖房はオンドルが主流だが、杭州の緯度は、日本で言うと屋久島くらいの位置なので、大そうな暖房設備は必要ない。 しかし、そういう地域は、ややもすると、暖房の準備をせぬまま冷え込んだ朝を迎えてしまい、北国に住まうより、却って冷気に晒される生活時間が多かったりする。 霊隠寺は、山の上なので、絶えず囲炉裏で暖を取る体制にあり、そのぶん、暖房が利きすぎて、あらぬ時刻に惰眠を貪る横着者を生じやすい。冬季のぐうたらは、格別、心地よいものである。その気象条件、暖房の手段、利き方、生活感は、日本人には共感できるところが多々ある。 杜甫などの唐代には、こうしただらけた情感が詩になる事はなかった。確かに、散文的、中年的な世界だが、一方、庶民的、生活直結的で、現代人の生活感の原風景とさえ受け取れる。これが宋代である。この時代の魅力である。 おやおや、脱線している間に、バスはとっくにホテルに到着していた。 ロビーで鍵が配られ、部屋に入ったのは、16時45分。実際にバスに乗っていたのは30分強だった。
さて、夕食に出かけるため、17時45分ごろ集合とて、ロビーに待ち合わせたと思う。
私は、ホテル内を徘徊しようと思って早めにロビーに出たが、そこでは、ホテルで結婚披露宴を行った新婚さんと、その関係者でごった返していた。
写真でも分るように、新婚さんは、まるで芸能人のように、関係者のカメラのフラッシュを浴び、多数のビデオカメラが回っていた。新婚さんは、終始ニコニコ愛想を振りまいている。
時に17時26分。 他人の私に限って慎重に顔を背ける心理を、私は厳密には把握できていない。乙女の恥じらい?肖像権・プライバシーの権利意識?ネットにアップロードされたりするのが怖いから? いずれにしても、私に不快な反応は一切示さず、波風を立てずに巧みに顔を背ける気配りも、これまた、理解しにくい。 1998年の中国は、現在とはまるで違っていた。殷という王朝の前の夏(か)という王朝の都の遺構が発掘された、という、洛陽郊外の村落を訪れた時、若い主婦か娘かが大勢、表に出て、我々日本人観光客を、物珍しそうに観察していた。 容姿は端麗なるも、服装はみすぼらしく、表情も田舎っぽく、カメラを向けると、あからさまに逃げ惑った。 あの時の雰囲気は、まるでカメラに霊魂を吸い取られはしまいか、と恐れているような感じだった。(もちろん心象風景である) そういえば、街の様子も違う。当時の青島(チンタオ)は、町の表通りや、青島ビールの工場の前を走っていても、 風景がほこりっぽく、建物は薄汚く、人がやたら群れ、眼光鋭く、 とにかく、バスの窓からサファリ・パークを見物しているような気分で、猛獣の群れいる園に自分自身を投げだすことなど、想像もつかなかった。 今や、町も人も小奇麗で、表情は穏やかであり、バスを降りて、自由に歩くのも一興である。 おっと、言帰正伝U。(いや、WかXかな?) ロビーの雑踏の中に、カメラマンさんが、数名の旅仲間と雑談しているのが目に入り、私も参加することにした。 カメラマンさんは、旅のメンバーに、結婚式の事を解説しているようだ。 私は、やはり、新婚さんを正面からアップで撮りたいと思い、カメラマンさんの許可があれば、そうしてもよいのではないか、という気分になり、カメラマンさんに打診したところ、 「それはいけない事です」と言われ、自分が新婚さんにとって、かなり迷惑な存在だったことに気づいた。 そこで話をカメラマンさんに転じ、「ニン、チエフンラマ?」(貴方は既婚者ですか)と尋ねてみた。 かなり若い娘なので、半分は冗談だが、日本ほど晩婚ではないと思うので、ひょっとしたら、という思いもあり。 すると彼女は、なぜそんな質問をするのか、怪訝な反応を示しながらも、「結婚はしてませんし、…ナンポンヨウもいません」 後のフレーズは、妙に艶のある声音で、丁寧に発音した。 「ナンポンヨウ?」一瞬、「難朋友」という文字が思い浮かび、意味が分からず、「あ、そう」と生返事するしかなかった。 今、思い返すと「男朋友(ボーイフレンド)」の事だ。そうと気づけば、咄嗟に「私もニュィポンヨウ(女朋友)いないので、丁度よかったですね」くらいのボケは言えたのだが。彼女が「まあ、それはよかった。…な訳ないでしょ」と、ノリツッコミしたかどうかは知らない。 ここは大阪ではない。ではないが、大阪と似ている。 中国語には、「四声」という、4通りのイントネーションがあり、それが中国語に特徴的な、メロディアスな響きを形成する。その点、大阪弁も、日本語の中では、イントネーションの高低差が際立って大きい、という特徴を持つ。 大阪弁で「わて、知らんわ」は、「低く抑える・高く伸ばす・軽く添える」という、中国語の四声と同じ抑揚パタンの組み合わせであり、 「我煽口阿(ウォー・シャン・ァ)!」という中国語と全く同じに聞こえる。 大阪は、中国の江南地域(上海・杭州周辺)から、その昔、漢民族が集団移住した土地である、と私は勝手に推測している。 ただカメラマンさんは、上海に住んでいても、出身は東北地方(旧満州)である。 トゥィプチィ(ごめんなさい)。また話を戻す。 一行はバスで出発したが、夕食の場所は、どうやら、市街地の西方にあるらしい。ほとんど来た道を引き返している。しかも先ほどより渋滞が増している。
この日の料理は、「乞食鶏と杭州料理」である。 乞食鶏は杭州名物で、小ぶりな鶏を、頭・内蔵・足を除いて、野菜などを炒めた物を体内に詰めて縫合し、その体を粘土質の土で包んで焼き上げる料理である。 その由来は、昔、乞食が鶏を盗んで逃げる途中、土の中にその鶏を埋めて隠したが、そうと知らない人がその上で焚火をした。後から掘り出してみると、良い味に仕上がっていた、という事である。 日本人客は、見た目を気味悪がって、余り箸をつけようとしないので、私は、落ち着いて食する事ができた。味は、中々良い。首の部分に齧りつくと、頸骨が複雑骨折していて、野蛮な気分になった。
この時、18時半。ホテルに戻ると、ガイドさんは、これで解散します、とそっけない。私たちスタッフは、これから、その辺で食事を取ると。何かあった時のため、自分とカメラマンさんの部屋番号を教える。カメラマンさんの部屋番号は、私の隣だった。 いくらなんでも、時間が早すぎる。私は危険を承知で、ホテル周辺を独り歩きすることにした。 フロントで観光地図はないか尋ねると、出して見せてくれた。クシャクシャで折り目が破れていた。このホテルの位置に○がしてある。 この地図が欲しい、というと、係員は、「うっ」と返答につまり、上司に相談する、と言って、上司を呼び出した。 上司も「うっ」と返答につまりながら、結局OKした。ホテル客に説明するため、何度も使い込んだ様子がうかがわれる。 地図は、よほどの貴重資源なのか。その後、売店に行くと、その地図は、5元(約80円)で販売されていた。 やはり現地では、80円でも、一定の重い価値があるのだろうか。 売店では、「五加皮酒」といって、日本の養命酒のような酒を15元(約240円)で購入。但し、量はかなり少ない。確か150mlくらいか。 地図を見て、徒歩圏内に「火車東駅」(鉄道の杭州東駅)があるのを見て、ホテルの東へ向かう事にした。 しかし思いの外、閑散としており、先へ進めば進むほど、店もなくなり、治安の危険度が増すように思われた。 一本、奥へ入る道があったが、荷車に柑橘類を載せた売り子が、私を見て、おや思いがけず、大金を持っていそうな客が、という、妖しい視線を発しており、コリャ引き返そう、と思った。 実は、途中、面白そうな店が2軒、隣り合わせていた。どちらも、「足浴・全身推拿」という看板を出しているが、片方は「両個小時50元」とあり、もう片方は、値段や時間の表示は何もない。 前者は、美容師風の女性たちがうろついているのが、ガラス越しに見えるが、後者は、下着姿の豊満な女性が数名、気だるそうに長椅子に座って外を眺めている。 これは素人目にも、前者が正統派のマッサージ店、後者がマッサージ形式の風俗店である。 どちらかというと、後者の方が好奇心をそそるし、既にビジュアル的に誘惑されており、ふらっと入ってしまいそうである。 しかし、料金やシステムが不明のまま、うっかり入口を越えて入って行くと、何が待っているのか想像もつかなかった。 団体旅行でもあり、下手なトラブルは起こせない。 片や、前者は、何やらのマッサージで2時間、約810円である。 昨夜は、主に足裏マッサージ65分で3,000円であった事を考えれば、どう転んでも安い。 ここは、好奇心や欲望より、安全策で。 それでも、得体の知れぬ夜の街の一人歩き、恐る恐る店内に入ると、店長らしい女性が、親しみ深く迎え入れてくれたので、まずサービスの内容を確かめようと、 「全、身、えーと、えーと」 「チュァン・シェン・ツイ・ナー」 「それ何?」 「からだ中をツイナーするの」 「あぁ!全身指圧ね!」 急に「推拿」の意味がひらめいた。 「2時間50元で間違いない?」 「当たり前でしょ」 「足浴と全身推拿のいずれか一方を選ぶの?それとも両方やってくれるの?」 「最初の1時間が足浴で、後の1時間が全身推拿です」 「了解!じゃ、お願い」 「じゃ、そこの階段をあがって頂戴」 「?」 1階は、白壁を基調にした明るくモダンな雰囲気だったが、 階段は、老朽化した居酒屋のそれのごとく小さく汚く、 上がった部屋は狭くて暗く、サッシ窓が開け放たれ、 向かいの雑居ビルみたいなのが眼前に迫り、 少し下にずれている向かいの部屋の中が、覗くと丸見えである。 自分のいる部屋は、壁にエアコンが据え付けられているが、作動していない。故障し作動しないもののように形骸化して見えた。 まあ、今は作動する必要のない季節だが。 ともかく、場末の小汚い売春宿のような風情であり、どっとテンションが下がるのを覚えた。 リクライニング・チェアーが二つあり、片方には先客があって、小太りの女性が客に話しかけながら、客の足を洗っていた。 客は、まだ少年っぽく、女性の方が、上から目線で偉そうに話をしていた。 やがて、私を担当する女マッサージ師が現われた。 ややサル顔だが、スリムな体型で、今風の、胸を大胆にはだけるシャツを着ている。店長が、珍客を歓迎するため、それなりの人選をしたものと察せられる。 私は、とにかく濫りに話しかけられても困るが、どうせ日本人だからとダンマリを決められても、2時間が気づまりなので、まずは中国語で自己紹介。 「ワタシ日本カラ来マシタ。観光客デス。中国語スコシ話シマスガ、聞キ取ルノハ大変ニガテデス」 担当のマッサージ師は、少し和らいだ表情を見せたが、日本人と聞いて特別珍しがるでもなく、ちやほやする理由もないし、ともかく、余り営業トークをする習慣はないようだ。それでも、何も反応しないのも酷だと思ったのか、 「ホテルは近くなの?」 「いや、ずっと向こうから歩いてきたんだ。○○○大酒店」 「○○○大酒店?ぶふっ。それって、スグそこじゃない。ほら、窓から見えるわ」 むしろ隣の若い男性客が、素朴に、突然の日本人客の訪問に興味を示している。また、隣の小太りのマッサージ師も、愛想よく色々質問してきた。 時刻は20時10分ぐらい。10時過ぎに終われば、あとはホテルに帰って寝るだけだな。 担当のマッサージ師は、細腕に似ず指先に力が入っており、足指をつまんで引っ張るにも、ツボを刺激するにも、昨晩の少女よりは格段に訓練されている風であったので、部屋の雰囲気にも慣れ、段々、居心地がよくなった。 昨晩は、ガイドさんがテレビをつけないよう注意したが、今は、奥の壁際にテレビがついていて、ケーブル・チャンネルでトレンディ・ドラマが放送されていた。 二人のマッサージ師は、かなり大胆にドラマに気を取られており、先週の放送を見た方が見ていない方に、色々シチュエーションの解説をしている。 足浴の桶のお湯を換えるため階下へ降りて行った方が、また戻ってくると、その間に何が起こったか、相方に教えてもらう程の熱の入れようである。 男女が自動車の中で痴話げんかしているのを、我が事のように食い入るように見ている。 彼女は、2時間、指先に力を入れっぱなしで働いて、810円以上の収入にはなり得ない。おそらく自動車を乗り回すボーイフレンドも、夢のまた夢であろう。ドラマの世界への憧れ、思い入れも、我々の想像を遥かに超えた物かもしれない。 健気なものよ、と、私の足を洗う手の止まりがちな彼女に目を向けると、かがんでシャツの襟元が垂れているせいで、その豊かな胸元が丸見えである。 彼女は、横を向いてテレビに見入っているので、私も、何となく安心して、その胸元に視線が釘付けのままだったが、その視線に気づいた彼女と眼が合ってしまう。 そう言った事もサービスとして計算されたものであろうが、こちらも2時間、エロおやじであり続ける事は耐えられない。 そこで、テレビに目を転じる事とする。漢字が表示されるので、意外にストーリが掴める。しかし、テレビが離れているので、眼鏡の角度を傾け(遠近両用…)、じっと眼を凝らしていると、向こうの小太りの女が、 「ああ、貴方はティンプトン(聞き取りは苦手)だけど、カンツー(字を読むこと)ができるのね!」と、理解を示した。 テレビでは、主役級の美人女優が、丁寧にお辞儀をしたので、 「あ、彼女は日本流のお辞儀をした。ひょっとして日本人の役を演じているのかな」 と担当マッサージ師に尋ねると、余り意味は通じなかったようで、 「彼女は、劉なんとか、っていう、中国ではとても有名な女優で、日本人なんかじゃないわよ」 とクールな返答が返ってきた。 社会主義国にはあるまじき、風俗店で働く今時の娘たちだが、どこか素朴で、擦れていない、それは隣の男性客もまた同じ。突然の珍客にも全くの自然体、私には、愛すべき人々である。 結局、今日も、足浴の1時間は、やや時間の経過がだるく感じられた。 テレビばかり見ていて、ふとマッサージ師に目を向けると、何かどっと落ち込んでいる様子である。彼女も、余り無視されるのは空しかったのかもしれない。 「全身推拿ダケド、ネ。ボクハ、頭蓋骨ノつぼヲ指圧シテモラウノガ好キナンダ」 「もう少しで足浴は終わるわよ。後半1時間は、たっぷり全身推拿やってあげるから、もう少し待ってて」 ありゃ、また通じなかった。しかし、足浴が終わると、早速ヘッド・マッサージが始まり、彼女のツボ指圧の技術は、しっかりしたものであったから、私は、たちまち、恍惚昇天の境地に至った。 その事は、恐らく彼女の職業的自尊心を満足させたものと思われる。その後の1時間は、非常に激しい動きの連続であり、うつ伏せになった私の背中に、その細身の体全体を乗せ、膝に体重を集中して私の背中のツボを指圧するなど、ダイナミックな大技が続いた。 なので、退屈な前半に比べ、後半は、時間の経過を忘れるほどであった。 もっとも、途中から、指圧というより、プロレスの技をかけられたような状態に陥り、あちこちの筋肉に痛みを覚えるようになった。 もう限界、ギヴアップのポーズを取ろうとした時、時間切れ引き分けに終わったのである。 「シェシェ」と彼女にクールな別れの言葉を告げ、1階のレジで店長に100元紙幣を手渡す。店長はお釣りを50元紙幣で返す。 よし。隣の風俗店でなくてよかった。2時間で810円! 来る時は、恐る恐る歩いて来た道を、意気揚々と引き揚げる。 途中、漢方薬局があり、中を覗くと、クコの実250gが、僅か10元(約160円)で売られていたので、奥の店員を呼び、10元紙幣を手渡した。私は、クコの実は漢方薬というより、普通に酒のおつまみにする。 ホテルはスグそこである。その時、背後から声をかける者がある。振り返ると30代半ば風の男性が、中国語でモゾモゾ言っている。 道を尋ねているのかと思い、やれやれ、私も遂に、中国の街で中国人に中国語で道を尋ねられるの域に達したか、と優越感に浸りながら、 「悪イガ、ボクハ旅ノ者デ、コノ土地ノ者デハナイ」と笑いながら返答すると、男は「チガウ!」と強い口調で言い返す。 「は?違うって何が?」と、つい身を乗り出して、相手に聞き耳を立ててしまった。 すると男は、両手でご飯を食べる仕草をし、「チーファン(飯を食う)」と言う。そこへ頃合いを見計らったかのような絶妙なタイミングで、小児を抱いた女性が登場する。 「この子は、今日何も食べていないんだ」 つい、哀れを誘われてしまい、 「仕方ないな。ちょっと待ってな」と財布を開く。 子供のために、な、と、現地相場なら、まあ10元か20元で十分だろう、と高をくくっていたが、財布の中には、何と、先ほどのマッサージのお釣りである50元紙幣一枚しか残っていない! うーむ、参った。釣り銭30元を返してくれ、などと言える心境ではない。そのような状況なら、初めから断っている。今、小さいお金がないので、とも言えない。日本人らしく、太っ腹なところを見せねば。 「よし、分かった。これで、その子においしいもの食わせなさい」 と50元紙幣を手渡すと、男は「あ」と一語漏らしただけで、特に丁重に感謝するでもなく、引き下がった。 翌日、旅慣れた初老の人にこの話をすると、 「以前の中国旅行では、ガイドさんに、絶対、乞食の相手をしてはダメ、と重々諭されたよ。 彼らは、普通の家に住み、毎朝タクシーで観光地に通勤しているんだそうな。庶民より、ずっと豊かに暮らしているって」 ガーン。 私の旅行の準備段階では、中国で、プロの乞食に遭遇することは想定していなかったのである。 その時は、すぐ目の前にあるホテルへ入りながら、 「あーぁ、安くて得したはずのマッサージが、810円から1,620円に跳ねあがってしまった!」 と背中で泣いていたのだが、今、思えば、薬局でクコの実を買わなかったら、乞食には10元札だけ渡し、それ以上はダメダメよ、と追い払う事もできたのである。 なので、むしろ、クコの実250gを約810円で購入したに等しい、と考えるべきである。いずれにせよ、少し勿体ない。 これが、この夜、私の遭遇した事件の全容である。 それにしても、ちょいサル顔で細身だが、グラマラスな女マッサージ師の、2時間、渾身の労働より、一瞬、日本人を呼び止め、子どもを抱いて同情を買う演技の方が、手取りはよいのである。 どちらが人間として真っ当なのか。どちらの計算が正しいのであろうか。 この国の現実は、確かに歪んでいる。 (つづく) (1)出発 | (2)中餐 | (3)烏鎮 | (4)紹興 | (5)孔乙己 | (6)紹興酒 | (7)七層塔 | (8)西湖十景 | (9)杭州の夜 | (10)杭州の朝 | (11)太湖 | (12)恵山寺 | (13)地鉄 | (14)中国茶道 | (15)豫園(最終回) |
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