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平成十九年十月廿九日
(Last updated : 2008.3.16)
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Tour

美しき江南4日間

(11)

10月29日午前10時50分、バスは、無錫市錫恵公園に到着した。 杭州のホテルを出発したのは、7時半ごろであったから、3時間20分ほどの移動であった。

無錫市は杭州市のある浙江省の北隣、江蘇省の南部の工業都市である。 上海の西方128q蘇州市は無錫市の南東である。 蘇州の方が、拙政園・留園・網師園・環秀山荘・獅子林など世界遺産に選定された庭園が密集し、 森鴎外「寒山拾得」ゆかりの名刹・寒山寺もあったりするので、 今回、旅程に含まれておれば、張り切っていたところであった。

ちなみに、寒山寺は、楓橋路に面していることから、唐代の詩人・張継が詠んだ漢詩「楓橋夜泊」の石碑がある。 カメラマンさんが教えてくれた「月落烏啼霜満天」がそれである。 私は、このフレーズを杜甫の詩としてウロ覚えしていたが、後日調べてみると誤りであった。

一方の無錫は、予習する手がかりすらなく、何時間もバスに揺られるのは不本意であった。

紀元前の春秋戦国時代には、有数の錫の産地であることから「有錫」と呼ばれていたが、 前漢のBC202年には「無錫県」が置かれており、既に錫が掘り尽くされていた事が分る。 錫が取れる間は、周辺強豪の争奪の場となり、戦乱が絶えなかったが、錫が尽きてからは、町が平和になったので、 無錫という地名には、住民の平和を喜ぶ思いが籠められているらしい。

錫恵公園は、錫山恵山を包含する75万uの広大な公園である。 錫山が、その昔、錫を産した山だという。

錫恵公園の入場口の様子は、2008年3月16日現在、私の記憶にない。 記憶にないのは、時間の経過のせいだけではなく、その時の私は発熱していたので、 やや意識が朦朧としていたのである。

バス専用駐車場は記憶している。 遠くの村の自治会の慰安旅行のようである。総勢1,000人を越えていそうな老人の大団体が、 お揃いのオレンジ色のパーカーを着て、ぞろぞろ歩いている。

渚頭庵 私のカメラは、「渚頭庵」という額のかかった山門を撮影している。

一行は、とりあえず太湖を遊覧する船の波止場へ向かっているのだ。 太湖別野 公園は太湖に北接するが、江蘇省と浙江省に跨る太湖の面積は、2,250平方q琵琶湖約3倍とか。 無錫市の市街区(人口223万人)の面積1,659平方qよりも広い。

しばらく歩くと、左手に「太湖別野」という額の立派な山門が見えるが、淡々と通り過ぎる。

その内、右手にジュースなどを出している休憩所「清涼スタンド・太湖人家」があり、三得利(SUNTORY)のパラソルが立っている。 太湖人家

「太湖游船碼頭」(波止場)に近づくと、左手に土産店が並んでいる。 土産店街

太湖游船碼頭 波止場にかかっている横断幕は、「オリンピックを迎え、文明を講じ、新風を樹立し、文化的で風光明媚な旅游区(観光地)を創ろう」 という意味の事が書いてある。

横断幕の下に時計があり、11時3分か4分を指している。この写真は、デジカメの時計では、10時59分である。 いずれが正確であるかは定かでない。

乗ろうとする船 我々の乗ろうとする船が泊まっている。

今日は月曜日だったが、例の大団体の影響で、混雑しており、行列を為して待たされた。 時折、冷たい風も強く吹く。 熱がひどくなったと見え、悪寒がした。

私はカメラマンさんに、

「昨天我睡不好覚(昨晩、よく眠れなかった)」

と言った。 バスの中で「とっさのひとこと中国語会話」(ダイソー105円)を調べ、覚えておいたものである。 解熱剤か、風邪薬を手配してもらいたい、という意図があったが、 バスの中では、まだそこまで切迫した話をしようとは思っていなかったのである。

「どうして眠れなかったのですか?」

「ホテルの近くで全身推拿をして、両個小時(2時間)で50元(約800円)だった」

「まあ、ヤ・ス・イ・デ・ス・ネ・エ」

「それはよかったのだが、強すぎて、筋肉痛で眼が冴えてしまって…」

「・・・」

結局、バスで準備していたシナリオ通りの事を中国語で話す事はできたが、 体調が悪いので薬が欲しい、という肝心の部分は表現できないでいた。 しかし、私の顔色などから、察してもらえる事を期待していたが、 彼女はそれっきり無反応であった。

やはり、若さゆえに、気が回らない、その辺が、連れと他人と違いか、 と、妙に神妙に諦めてしまったが、 今、思い返せば、私の願望にも無理がある。

「とっさのひとこと」に、「我覚得発冷(寒気がします)」という例文があり、 これを用いれば十分であったろう。 が、気だるさゆえに、とりあえず我慢する、という悪循環に陥る私であった。

祥雲号 さて、改札を抜けると、それは、「祥雲号」という遊覧船であった。 この船は、HQ旅行社東京で集客した、もう一つの団体と相乗りである。 キャビンは狭いので、半分は甲板上から景色を楽しむ事にする。

私は熱があるので、中に入りたかったが、もう満席だったので、外の風に当たらざるを得ない。 しかも、数少ない、ミニ腰掛けの奪い合い。

広島からの一行だけなら、事情を話して折り合いのつけようもあったが、 東京の一団は、どこか殺気立っていて、場所や椅子取りの競争にも長けているようであった。 また、景色のよいアングルでの写真撮影も、人を押しのけたり、のいてくれと言ったりして我を通すので、 甲板上でじっと立っている自由すら得難い状態である。安芸門徒の風土に育ったせいか、少々勝手が違う。

やがて船員がマストを手繰り上げる。 倭寇の時代を彷彿とさせる帆船である。 皆さんには6コマで楽しんでいただきましょう。
マスト1マスト2
マスト3マスト4
マスト5マスト6

11時5分、いざ出発!

ガイドさんは、尾形大作「無錫旅情」(1986年)の話題を口にしたが、我々は、誰もその曲に馴染みがなく、反応できない。 彼は、がっかりしながらも、「実にいい歌です」と言いながら、大声で歌い始めた。

私は、戦時中の歌謡曲の復刻版だと思っていたので、年配の人が反応しないことが意外であったが、 それだけ戦争世代の高齢化が進んでいるのか、としんみりした気分になった。

しかし、今調べてみると、1986年、無錫市は、国際観光市場への参入を政策決定し、まず日本の作詞家・作曲家を無錫の民謡に触れる旅に招待したそうである。 作詞家・中山大三郎も、5日間無錫を観光し、帰国後10日も経ずに、「無錫旅情」など2曲を作り上げたそうである。 「無錫旅情」は、その年の日本レコード大賞を受賞し、年末の紅白歌合戦でも歌われた。

これほど有名な曲を私が知らなかったのは、1986年5月から6年間アメリカに出向していたせいである。 恐らく他の客は、知っていても歌うのが恥ずかしいから、知らんふりしていたものと思われる。

太湖は、西湖とは違って、どの方角の何を見たい、という事もないし、琵琶湖のように、だだっぴろくて平坦な眺めであったから、 私も、のんびりリラックスするに限ると思って、リュックに収めていた缶入り黒ビールを飲みながら、 気分はすっかり李白である。

「ビールを常温で飲むんですか!」

「いや欧州では、常温で飲むのが普通らしいですし。何ぶん、日本円で50円しないような値段でしたので、酔えればいいんです」

が、中国の安物のビールは、ほとんど、気の抜けた炭酸水のように味がなく、 却って、その冷たさのせいで、体調が益々悪くなった。

気づくと、ほとんどの人は甲板に出ていたので、私は船室に入った。 中は期待したほど暖かくなく、外気一体型空調システムであったため、がっかりした。

東京の客数名が、そちらのガイドと話しているのを何となく聴いていた。 やはり、広島の我々と違って、どこか気品を保とうとする意識があり、話しぶりも、実は曖昧にしか思い出せないのに、詳しく知っているような見栄を張っている。 そもそも、上流階級であるなら、HQ交通社の激安パックなど利用しないはずだが…。

ガイドさんが室内に入ってきたので、 ついに私は、解熱剤が欲しい、と日本語でおねだりした。 薬は、バスに戻ってから3錠もらったが、最初の1錠で十分な効果を得た。

湖の景色はほとんど撮影していないが、ひょうたん島のような島が浮かんでいる所だけ紹介しておく。 ひょうたん島 船を下りたのは、11時30分すぎ頃

その後、「紫雲湖鮮館」という近くのレストランに移動し、昼食を取る。「スペアリブと無錫料理」である。スペアリブは、気に入った。 無錫料理

紫雲湖鮮館 食後、まったり雑談していると、店員が例の燗壺を売りにきた。杭州での昼食時と同じ2,000円である。 しかし、今回は、別の日本人団体を先に回っており、その団体は、値引きをしつこく要求していた。 傍で眺めながら、

「1,800円以下になったら私も買おうかな」

というと、昨日、2,000円で購入したところの、旅慣れた老人Aは、

「半額の1,000円になったりして」

と冷や汗を流していると、

「買い手が10人以上あれば、1人1,000円」

という声が聞こえたので、私は立ち上がって

「その仲間に入れて下さい」

と叫んだ。

既に10人に達しているので、隣の我々も、1,000円でよいことになった。

例の、魯迅「孔乙己」に登場する、紹興酒を御燗する壺である。

店員に材質を尋ね、「錫製」と答えたように記憶するが、小説に登場するのはブリキ製(鉄板を錫メッキしたもの)。 購入したものは、ともかく、厚手の金属で、ずしりと重い。ヤスリで削り上げて整形している様子なので、ブリキには見えない。 本日、1,000円で購入したところの、旅慣れた老人Bは、その晩、ホテルで老人Aのものと比較し、 厚さが全然違う、との事であった。老人Aのものは、ブリキ製であったかもしれない。

ともかく、錫製であれば、後日、錆びる心配がないわけだ。

いずれにせよ、私が購入した燗壺は、旅行後しばらく紹興酒の御燗を楽しんだ末、中華料理店を経営する知人に譲った。

中水珍珠研究所 さて、レストランの隣に、「中水珍珠研究所」(淡水真珠の研究所)がある。

研究所、といっても、その実、実演販売を目的に建てられた建物に違いない。 ガイドさんは私に、「無理しないでバスで休んでいていいですよ」と声をかけてくれたが、 気に入って買わないとも限らないわけで、格安旅行の掟として、無理を押しても脱落すべきではない、と考え、 12時25分、一行に同行した。

太湖では、巨大カラス貝のような貝を養殖して淡水真珠を産する。

案の定さっそく実演である。

一枚の貝の中から、20〜30個の真珠が取れるそうだ。ピンク薄紫の。 観光客が訪れるたびに一枚の貝を小刀でこじ開け、無造作に真珠を取り出す。
真珠1真珠2
値段は忘れたが、予想したよりは安かった。とはいえ、英虞湾の真珠との品質の違いは私には分からない。

福原かミさまには、お土産を買うとすれば、淡水真珠だが、というや否やに、それだけは絶対買ってきてはいけない(無駄遣い禁止条例)、 と言われていたので、わざわざ怒られるために買うつもりもなかった。

真珠は、粉末にして、化粧品や石鹸にもなっているようである。 薬効の理論が全くわからないので、そんな得体の知れぬもの、買えという方に無理がある。

私は、店内壁際に陳列された置き物や一般的な宝飾品も見物した。 この世界の商品知識がないため、おいそれとは手が出ない。 店員も意外に押し売りしてこない。

1998年末洛陽鄭州を回った時は、売り込みの勢いは凄まじいものがあったが、 旅行後のアンケートなどで不評のため、顧客満足の観点から改めたのか、江南地域の気質なのか。 私は結局、何も買うことなく店を出る。バスが出たのは、12時45分ごろである。

(つづく)


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