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バスは約10分移動して、13時17分、我々を恵山寺の入口へ運んだ。
太湖の遊覧船の波止場があった錫恵公園は、錫山と恵山を園内に持っており、恵山の山麓に位置する恵山寺も、相変わらず公園の中である。
が、熱にうなされていた私は、朦朧としたままバスを降りたので、そこが現在、菊花展を実施している、という事だけが印象に残った。
「菊花は、中国原産で、およそ3000年の歴史があると推定される。中国では、菊花は高尚堅強の情操を賦与し、民族精神の象徴として、歴来、深く国民の喜愛を受けてきた。
人々は、その清秀神韵(しんいん)を愛し、その、霜を凌いで盛んに開き、西風にも落ちない一身傲骨(?)を更に愛(め)でた。晋代の詩人・袁菘曾が詩にしていうには、
『春の露にも色を染めず、秋の霜にも条を改めず』と。更に著名な田園詩人・陶淵明は、菊を賞する名句を千年の後まで残している。『菊を東の籬(まがき)の下に取り、悠然と南山を見る』
中国菊花展覧会は、国内華道界において最大規模で、広範な影響力をもつ花事活動であり、広大な群衆の歓迎を深く受けている。
『菊芸盛典・百姓楽園』をテーマに掲げる第9回中国菊花展覧会は、またもや、江南の名城・無錫にて開幕する。
今回の展覧会は、中国風景園林学会、江蘇省建設庁、無錫市人民政府の主催で、無錫市園林管理局、中国風景園林学会花壇盆景賞石分会、中国風景園林学会菊花研究会の後援にて、
菊花および園芸事業の発展と繁栄により、群衆生活を豊かにし、百姓情操を陶冶し、大衆文化を発展させ、社会の和階共生を促進する狙いがある。」
前書きはマダマダ続くが、翻訳に疲れたので、先へ進む事にする。
山門には、日本のお寺のように、仁王像が構えている。ただ、カラフルに彩色されている。
入口からの通路には、半円を連ねた形の盆栽の先端に、龍頭をよそおった飾り付けをして、全体で龍が踊っているように設えた両脇に、整然と菊花が植えられている。
左手に「鄒忠公」の祠。いわく因縁は知らない。13時23分、「天王殿」という額のかかった山門までは、菊が飾られた中に、鳥のさえずりが聞かれる長閑な道行であった。
天王殿の内部にも、彩色された、厳つい、何とか明王像のようなものが置かれている。
その先は「御碑亭」。中国で「御」という字が使われるのは、その碑文が、皇帝の自筆である事を示す。
入口の橋は「金蓮橋」という石橋だが、菊花展のためか、植木鉢を置いて盆栽に覆われている。橋の上の石碑や、周りの石塔も、緑で覆い尽くされている。
御碑には、清の乾隆の年号が読み取れる。
さて門をくぐって、本堂のような建物の前に出ると、「西蘭?痕」という文字が大きく刻まれている。
ここは方形の中庭のようになっており、四周を建物が囲む。いわく「五観堂」、あるいは「地蔵殿」、かつまた「羅漢堂」。
山門から右へカメラをスパンしながら撮った写真。
宗派のことはサッパリわからないが、羅漢堂の中央に祀られているのは、観音様、称名は「阿弥陀佛」、左右に、いわゆる「五百羅漢」ともよぶべき仏像が並んでいる。
ともあれ、ここは、日本的な合掌礼拝をするのに適した雰囲気である。
と思っていると、入口から、地蔵殿へ向かって、参拝の行列が入ってきた。どういう宗教的意味付けの行事なのか、チンプンカンプンである。
この中庭を出ると、天下第二泉という井戸に案内された。
唐代の茶道の大家・陸羽の命名とか。また、天下第一泉は、あちこちあるが、第二泉は、ここだけとか。
二胡の名曲「二泉映月」の由来地であるそうな。
すぐそばに狭い建物があり、二胡の調律をしていた。生演奏が聴けるというので、ワクワクしながら調律が終わるのを待っていると、
二胡が壊れたので、今日は演奏しない、と。ぎゃふん。
発熱の無錫観光はココまでである。14時少し前に、上海へ向けて発つのであった。
(つづく)
(1)出発 |
(2)中餐 |
(3)烏鎮 |
(4)紹興 |
(5)孔乙己 |
(6)紹興酒 |
(7)七層塔 |
(8)西湖十景 |
(9)杭州の夜 |
(10)杭州の朝 |
(11)太湖 |
(12)恵山寺 |
(13)地鉄 |
(14)中国茶道 |
(15)豫園(最終回)
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