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平成十九年正月廿九日
(Last updated : 2007.1.28)
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Tour
上海

(1)

明けましておめでとう御座います。本年も(12分の1が終わろうとしていますが・・・)宜しくお願いします。

さて年も改まった事ですし、ここらで名乗りを変更いたします。

福原雅俊、改め、福原元澄

改名の背景として、ペンネームが本名と紛らわしい点があります。 結果的に、私が実際に福原一族だと思っておられる方も少なくない。 そこで、毛利家の歴史に詳しい方であれば、「福原貞俊+桂元澄=福原元澄」と、 架空の名前である事に、多少とも、気づきやすい方がよいか、と思いました。

さて、今年は、大河ドラマ「毛利元就」放映10周年という、記念すべきビッグ・イヤーでありますが、 本日は、上海の紀行文を書きます。

言うまでもなく、上海旅行は、毛利元就探訪とは全く関係がありません。 ではなぜホームページに載せるのか、というと、 これは個人的な記録の整理にすぎません。 しかし公開する事を前提にしないと、中々時間をかけて整理する気になれないので、 読まれる事を張り合いに、取り組んでいる次第。

毛利あるいは戦国史探訪の他の紀行文も、概ね動機は同じです。 ホームページというものは、読者は読みたいものだけ読めばよい構造になっているので、 まあ、余り世間に迷惑をかける事もなかろうし、 まれに何かの役に立つ事もないとは限らないので、そうするのです。

では、前置きはこれくらいにして、本題へ。

今回は、仕事でも歴史研究でもなく、全くの観光旅行であって、 HQ交通社が用意した格安パッケージという、安易な形式である。 この種の旅行は、下手に事前調査しても、団体行動の規律、という美名の下、 何事も与えられるまま、受身に徹するしかない。 それでも私は上海は初めてだし、中国で単独行動を取ったこともなく、 正直、行ってみない事には勝手が解らない事が多いので、 敢えてそういう境遇に身を投じる事にしたのだ。

旅程は1泊2日。日常生活の僅かな隙間をついて実行した。 また、私としては珍しく、二の姫を連れて行くことにする。 これは、単独参加だと旅費が2万円アップになるからである。 3泊4日以上の長旅ならともかく、これではホテルに1泊2万円以上で宿泊する等しく、 明らかに分が悪い。

とは言え、二の姫は中国には興味がないので、半ば拉致同前に無理やり申し込んだのである。

折りしも、風見しんご愛娘が交通事故死したが、二の姫は同学年に当たる。 間もなく思春期を迎え、親離れする手前、この先、懐かしく思い出せるような親子の思い出づくり、 という思惑もあったが、 いざ前日の夜になって、 旅先で、娘が雑踏に紛れ迷子になり、そのまま、行方不明になったらどうするのか、 という空想が脳裏を過ぎり、 内心、緊張が先に立つ出発であった。

H空港朝の7時集合である。福原かミさまに車で送ってもらう。 渋滞はなく、自宅から20分で到着が保証されており、至って便利である。

旅行社の受付があり、一行が総勢18名である事を知る。 確かに老夫婦が数組あったが、二の姫と同い年の男の子を連れた家族や、 OL4人組、母娘ペアなど多彩である。

個人での搭乗手続き、携行品のチェックが終わると、 もう飛行機に乗れる。

中国東方航空の小さなジェット機で、上海まで直行である。 朝9時発。 フライト・アテンダントは、日本語が通じるとは言え、中国人だし、 座席のヘッドカバーは、 「波司登 BOSIDENG」(ボストンという地名をブランドにしているようだ)という被服メーカーの広告があり、 早くも旅情をそそる。

このフライトは、朝の機内食が付く。もっとも、サンドイッチ、明治北海道十勝ヨーグルトなど、 日本式であり、二の姫を落胆させた。ただ、マンゴーの、これはババロアというのか、 洋菓子は気に入ったようである。

旅行社がチケットとともに入国カードを手配していなかったので、 機内で受け取り、記入する。 英語で書くつもりだったが、ふと気づくと中国語で記入していた。 裏側が英語版だった。 大事をとって英語版に書き直した。 二の姫は子供なので、私の分だけでよかったのだが、 事情を知らず、2人分用意した。

ふと窓の外を見ると、中国大陸の海岸線が伸びているのでビックリした。 高度を下げるにつれ、地上の景色が見えるが、 市街地の上空を通過したのではないと見え、 田園と住宅が程よく混ざった、余り特徴を感じない眺めであった。

いよいよ着陸である。約8年前、青島空港に降り立った時は、 黒い人民服の労働者が大勢飛行機に群がって荷物を運び出そうとしていたが、 ここではそのような前近代的な眺めはなく、 真新しい車が目に付き、日本にいるとの差が、ほとんど感じられなかった。 この時、日本時間で11時5分。現地の10時5分である。 そこからリムジンで移動し、ターミナル・ビルで下りたのは、 現地10時15分ごろだった。

空港はさすが、国際都市だけあって、 入国審査のゲートが沢山あり、世界各国からの便から、 いろいろな人種が入国しようとしてごった返している。

左右を見渡しても、広島からの同行者が1組あるだけで、 出口を間違えているのでは、とハラハラする。 しかも、自分の選んだゲートでは、 アラブ系のややこしい連中が連続したのか、 一向に行列が進まず、あっという間が30分が経ち、 更に長引いた。 1泊2日の旅程なのに、こんな所で時間を空費するなんて、 と暗澹たる気持ちになる。 自分が最前列に立った頃には、 隣の日本人は、とうに姿がなくなっていた。

入国審査が終わると、預けた荷物はなかったので、 そのまま出口へ。中国の観光社の人たちが多数、看板を掲げているが、 探している商標がなく心細い。 が、少し離れたところに日本人がたむろしているのが見えた。 この時、11時9分。着陸後、ほぼ一時間が経過していた。

現地のガイドは、意外にも、約54歳の女性であった。 西日本では比較的よく見かける、ずんぐりした風貌。 西日本人は、多分に漢民族の血がまざっているであろう事を想像させる。

「私たちが最後でしたか?」開口一番、普通に日本語で尋ねると、

「いいえ、そこそこですよ。まだ半分弱、集まっていない。 探してきますから、皆さん、ここで待っていて下さい」

というので、いきなり日本人の一団は置き去りにされた。 私はその間隙をついて、トイレに行くといいつつ、 小売スタンドに駆け寄った。

「多少銭(いくら)?」 ポン菓子に砂糖を塗って固めたようなものが2元(32円)、 4枚入りチューイング・ガムが3元(48円)、合わせて5元(80円)。 日本で言えば関空にあたるような場所でも、 そんなものだ。 私は、100元紙幣しか用意していない事もあり、 両替もかねて買い物した。 売り子は、さっさとお釣りをくれた。

8年前の旅行では、 タバコを一箱買おうとすると、どうしてもワンカートン売りつけようとするし、 うっかり高額紙幣を渡そうものなら、勝手に数量を増やして売ろうとするやら、 「お釣りは要らねえ」と言われるまで、10元、5元未満の端数を渡そうとしなかったり、 一々面倒な手間がかかったが、 ここでは、そのような事はない。

ようやく全員集合し、一行は、リニアモーターカーの駅に向かう。 次の発車時刻は11時29分だった。 列車の車体は、普通の地下鉄風だが、実力は凄い。瞬間最高時速431キロメートルまで出て、 30キロメートル離れた市街地の駅まで7分強で到達するのだ。

面白い事に、走っている間の速度が、電光表示板に示されるのだ。 発車後まもない11時32分58秒時速128キロメートルに過ぎない。

風景は、田園地帯にヨーロッパ風の味のある建物が並んでいる。 余り一戸建てらしいものはなく、ほとんどが集合住宅かと思われる。 遠くからは風情があるが、近づくと随分老朽化していそうである。

あからさまに車両が加速していき、11時35分11秒、先ほどから2分13秒後であるのに、 既に411キロである。少しガタガタ揺れているが、概ねスムーズな走り。

その後、431キロの最速状態がしばらく継続し、都市の景観が見える頃、減速が始まり、 ホームに降り立ったのは、11時40分である。 なお、電光表示板を撮影した事で、わがデジカメの設定時刻との照合ができるが、 分単位では誤差はないと言ってよい。

駅前のロータリで「あいのり」ワゴンのサイズではない、ちゃんとした観光バスに乗り、 市街地を走る。途中、現金を1元=16円で交換。 東京三菱UFJ銀行では、17円強で500元得ていたので、約500円損した事になる。

12時9分東方明珠電視塔というテレビ塔の前で下車。 って所で、本日はこれまで。この先なにが起こるのやら。続きは次回のお楽しみ!

(つづく)



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