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平成19年8月13日(月)中津川の日の出は午前5時7分である。私は、荷物を部屋に置いたまま、散歩に出かける。
駅前から上り勾配のメイン道路があり、古いタイプの商店街の様相を呈する。しばらく行くと、歴史情緒あふれる新町通りが交差する。
私はまず左折し、高札場を目指す。ここには、正徳元年(1711)に公布された高札の複製が、しかも、記録に残っている文章を今様に読み下し文にしている、と云う。
ところで私は、その説明板を読みもせず撮影する一方、肝心の高札の存在には気付かず、その場を立ち去ったようである。いきなりの粗相だ。時に5時10分。
通りを逆に戻ると、旧・中津川宿に連なる街路だが、まずは前田青邨の生誕地(現・愛知銀行)を経て、桂小五郎隠れ家のある道筋に至る。
文久2年(1862)6月、藩主が江戸から京都へ向かうまで、桂は、この辺りの料亭「やけ山」に潜み、やがて中津川会談で倒幕の藩論が決したという。
写真の建物の玄関に、説明板がかかっているが、この建物と料亭「やけ山」との関係は不明である。5時18分。
中山道・中津川宿「往来庭」これは、宿場町の趣を現代風にアレンジした休憩所である。
橋を渡り直進すると旧・庄屋屋敷があり、その先が桝形になっている。左折すると、ウダツ(卯建)の上がる家がある。
卯建とは、火事の類焼を防ぐための防火壁で、隣家との境に高い壁を設け、その上端に小屋根を置いたものである。
「うだつが上がらない」という言葉は、経済力のある家でないと、卯建を上げられなかったことから転じた、とされる。
中津川宿でも、現在では数軒にしか残っていない。
さて、ここから先は下町ということで、もう江戸情緒はうかがえない。時に5時35分。電車は6時9分なので、そろそろ引き返そう。
町の東南に遠山があり旭を浴びている。はや山国に来た感じがする。5時44分。
荷物を取りにホテルに戻る。部屋の前の廊下から、駅を見下ろす事ができる。5時51分。
ホテルの湯沸かしポットから、カップワンタンスープに湯を注ぎ、手で持ったままチェックアウト。
出口に店員はおらず、郵便受けに鍵を放り込んでおけばよい。
駅の待合室でスープをすすり、切符を買う。塩尻まで1,260円なので、青春18切符は使用しない。
電車に乗ると、3人のいかつい男たちが、土地の若い女を取り囲んで、話しかけていた。
若い女は恐怖に怯えた様子はなく、しかし適当に話を合わせていた。
3人の男たちは川の釣りが趣味のようだ。電車は、風景の良い峡谷を走る。
若い女は、やがて降りる駅に至り、男たちの盛大な見送りを受けた。
それからは、うつらうつらしていたのか、よく覚えていない。
塩尻まであと30分くらいのところで、行動開始前のもうひと眠り、と思って、仮眠を取った。
取ったはいいが、とても心地よい静寂の中で目覚めると、電車は停まっている。
ホームを見ると、塩尻ではないか、私は大いに慌てた。
何しろ荷物を網棚から二つ三つ下ろさねばならず、本とか、缶詰の食べカスとかが、
周りに放置されているのも片付けねばならない。
瞬間的に列車を降りたいが、そのために為さねばならぬ手数が多すぎ、
「おーまいがっ!」と祈りながら大慌てで動作する。
今思えば、難読地名の本は、ここで置き忘れたのかもしれない。
這う這うの態で列車から転げ落ちたが、まだしばらくは発車する気配はなかった。
単線ゆえの時間調整か。この度外れた時間感覚は、私には不幸中の幸いだったのである。
7時49分。こうして、私の風林火山紀行は始まったのだ。
(つづく) |