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塩尻駅東口にあるレンタカー屋の営業開始は、8時であったが、
予約を入れていた事もあり、7時55分、快く受け付けてくれた。
マツダAZワゴン。「行ってらっしゃい」は8時2分ごろだったが、
行き先をカーナビにセットしようとしてもがき、駅を出発したのは、8時9分。
この日は、かなりの強行軍になるかと思っていたので、
カーナビに数分費やした事も悔しくてならない。
しかし、後で考えれば、カーナビを使いこなすことは、この旅行では非常に重要な要素であって、
30分費やしてでも、しっかり説明書を見て、コツを把握すべきだったと思う。
とりあえず住所や電話番号で目的地をセットすることはできたが、
山城の登り口など、電話のない場所もある。
大体の位置を指定した後、詳細地図で、地形や道路の状況から、目的地を指定する、などの必要もあった。
また、お寺など県単位で検索すると際限のない場所は、近くまで到達した時点で、周辺の名所探索などで、ピンポイントで場所を指定したいというニーズもある。
最近の製品なら、尚更、機能が進化しているはずだ。
出発からいきなり、ナビの案内経路とは逆に左折したらしい。
ナビは、すぐさま、「リルートしているのでしばらくお待ちを」といいながら、
案内を停止した。しかも「リルート」という連呼を何時までもやめず、走行に支障が生じた。
マイ鉄馬のカーナビは、7年ほど前の基本的な製品だが、道を間違えても、引き返せとは言わず、
迂回してコースに戻る進路を、比較的すばやく示す。
時に、引き返せば何でもない道を、途轍もない迂回路を見つけて、無駄走りさせられる、という難点もあるが。
このナビは、どうも、正規のルートにドライバーが自力で戻らない限りは、お粗末な知能を絞って、「リルート(再探索)」という難事業に挑戦しつづけるらしい。
思えば、エンジンを入れた途端、怪しかった。画面には、ビキニの女の子(イラスト)が現われ、ドライバーの集中心を削ごうとする。
ビキニといっても、正確には、下はホットパンツのようで、ハワイか、グアムの街中をあるくファッションのつもりだろうか。
月替わりで服装が変わるプログラムなのかもしれぬが・・・。
「Hello、楽しそうにナビゲーションしたりして」
「Let's enjoy Sexy dialogue」
な、何だ?何を始めようというのか。よく聞いてみると、
「Hello, Panasonic Navigation System」「Let's enjoy Safety driving」と言っているようだ。
こういう思わせぶりな登場をする彼女を、私は「炎のナビゲータ・パナ子」と命名した。
そのパナ子は、走り出すといきなり「リルート、リルート」である。
リルート攻勢は、その後も私を度々悩ませたが、私は、是非とも、パナ子を「クイズ!ヘキサゴン」のおバカ娘に推薦したい。
ともかく、行きたかったのは「勝弦(かつつる)峠」。天文17年、武田晴信(市川亀治郎)と信濃守護・小笠原長時(今井朋彦)の戦いが行われた場所である。
しかし、そこは、何の施設もない、ただの交差点なので、詳細地図で目的地を探し出すことのできない私は、
近くの「鳥居平やまびこ公園」を「長野県の公園」という大きな母集団から何とか見つけだし、目的地として選んだのである。
塩尻駅からはほんの僅かの距離だが、ナビの操作に手間取り、大きく遅れを取ったような気がした。
かくて「鳥居平やまびこ公園」に達すると、入口に「塩尻峠の合戦跡地」の案内板がある。この時、8時29分。
「主戦場の場所は特定されず、この付近一帯と思われる」とあるが、当時の塩尻峠は、現在の勝弦峠がそれに当たる、という事を聞いていたので、
勝弦峠を求めて、車を先に進めることにした。
私は、信号などに「勝弦峠」という標識が掲げられている状態を期待したが、そのようなものは見当たらないまま道が下り始めた。
おかしいと思いながら走り続けると、とうとうゴルフ場に到った。
ここで、持参のノートパソコンに電源を入れ、保存していた峠の地図を開くと、大幅に行きすぎていることが明らかとなり、
引き返すことにした。このような顛末になったのも、私がナビの地図を詳細版に拡大する術を見出さずに走っていたからである。
この辺が最高所だった、と思うところは、ちょうど「しだれ栗森林公園」への分岐道があった。ここで車を停め、降りて辺りをうかがうと、
枝葉に隠れて、鳥獣保護区の区域図が立っているのが見えた。これが「勝弦鳥獣保護区」となっており、地図上の現在地に、
小さく「勝弦峠」と記されている。結果的に、これでここだ、と判明したのである。時に、8時45分。この時間的ロスは大きい。
写真では、枝葉に隠れていたり、サイズの関係で、「勝弦」の字が確認できないかと思うが。
標高は約1000m。因みに、塩尻駅は720mであった。ガソリン代高騰の折、軽自動車を選んだが、
今回の旅では、思いのほか経路に高低差があり、無駄な登り降りは、時間だけでなく燃費のロスにつながる。
また、歴史の跡をしのぶにしても、平面的な地図上で思いを巡らしていたのは間違いのもとであって、
標高差を体感しながら信玄の行軍を辿る事が重要だと気付かされる。
「鳥居平やまびこ公園」に戻り、園内の駐車場に車を停め、遊歩道を登って、展望広場へ至る。
まだ開店していないレストランの前に、だだっぴろい芝生の広場が広がり、その眼前に諏訪湖が広がる。
芝生に大の字に寝そべると気分がいいが、朝の爽やかさは、すでに炎暑の兆候を示していた。
時に、8時59分。
先を急ごう。次は諏訪湖畔の小坂観音院である。井上靖「風林火山」では、由布姫(柴本幸)が暮らしていた場所になっており、
大河ドラマでも、由布姫の登場するシーンでは、必ず観音堂ごしに諏訪湖を望む風景が映るが、史実としての確証はない。
晴信の側室となった由布姫は、甲府に住んでいたと推測するのが妥当であろう。
そもそも「由布姫」という名前は、井上靖が命名したものであって、地元では、大分県の由布院から着想したものとして、至って不評である。
そこで、諏訪御料人としておく事が無難である。
晴信によって滅ぼされた諏訪頼重と側室・小見氏との間の娘とされるが、天文11年に武田家に嫁した祢津氏の娘とする書もある。
ともかく、信玄亡き後の武田家を継いだ勝頼の母である事には間違いはない。
諏訪湖畔まで降り、湖沿いの国道を走る。途中、湖畔のデッキなどがある。道路脇に車を停め、湖畔に立ってみる。標高759m。風があり、さざ波が立っていた。9時24分。
更に直進すると、国道沿いに観音院用の臨時駐車場があったので、そこから、参道を登ることにする。
やがて山門に到り、直進すると諏訪湖が展望できる場所がある。9時37分。
諏訪湖の東半分を望む。高島城が、湖畔の左端あたりである。
本堂へ登っていく。真言宗智山派・龍光山観音院。古くは諏訪大社上社の社坊で、その後、諏訪藩の祈願所となる。明治4年、昌福寺の末寺として観音院の称号を得た。
本尊は、11面観世音。伝承では、諏訪湖で漁夫の網に本尊がかかり、湖岸の景勝地を選んで、仮宇を建立し、尊像を祀った事が起源とされる。
本堂奥に由布姫の供養塔がある。井上靖「風林火山」を機に、昭和38年に建立された。右手には、その当時のものと思われる井上靖手植えの植樹がある。
但し供養塔の左手には、「武田信玄公側室 諏訪御料人 供養之塔」という目新しい看板が立ち、「新田次郎先生命名 湖衣姫、井上靖先生命名 由布姫」と添え、
井上「風林火山」の由布姫より、新田「武田信玄」の湖衣姫を優先させようとする目論見が読める。
これは、新田次郎が長野県の出身で、諏訪御料人への思い入れが、より鮮明だからであろう。
近くに、展望用の東屋がある。ここからは、諏訪湖の西側を望むことができた。9時45分。湖からの比高は、せいぜい30〜40m。
下山して車に戻る際、「風林火山」の鮮やかな幟旗が目にとまった。大河ブーム、今盛りなり。時に10時1分。
その後、さらに諏訪湖畔に沿って走り、高島城を目指した。すると、途中に「原田泰治美術館」の道案内が出ているではないか。
何年か前、ここのホームページを偶然、訪れ、ナイーヴで素朴な画風に魅了された事がある。
当時、何点か、作品のサンプルが画像でダウンロードできたのだ。
さだまさしが名誉館長な事も承知しており、機会があれば訪問したいと思いつつ、忘却していた。
今、突然、その記憶が蘇るが、予定が大幅にずれてしまうので、敢えて美術館の場所を探し求める事はしなかった。
湖畔は、よく整備された遊歩道になっており、散歩やジョギングの人が散見される。かなり恵まれた自然環境と言える。
そうこうするうち、原田泰治美術館が目の前に現われた。ほぼ無意識に、その駐車場に吸い込まれる自分があった。
入館料800円。1階は特別展示室で、「星野富弘 花の詩画展」が行われていた。「二人の友情から生まれた富弘美術館との交流展」とある。
富弘美術館は、熊本県芦北町にある。水彩画タッチの花などの絵に、丸文字っぽい筆致で詩が綴られている。
まあ、ここは適当にやりすごし、2階の展示を見る。展示は定期的に入れ替えていると思われ、点数がやや少なく、サイズの大きな原画は、ブラジルやヒスパニックな土地に取材した絵だったりする点が、少々物足りない。
その分、液晶大画面で、春・夏・秋・冬を代表する作品が映し出されているのが見ごたえあった。
大型液晶テレビを購入してみると、NHK日曜美術館など、静止画の鮮やかさは目を見張るものがあるが、
まさに、じっさい美術館に来ても、液晶テレビで観賞する時代なのである。
1階のショップで、絵葉書8枚セット、「ボンネットバス」クリアファイル、「蓮の花」A3サイズ位の複製画、文庫本などを買い漁った。
10時47分。
A3複製画とクリアファイルは、別包装され、バッグに入らないので、旅行中、車のトランクに置いたままにしていた。
そうすると、レンタカー返却の際は確かに手に持っていたが、塩尻駅の待合室あたりで置き忘れてしまった。
1,100円程度の損失が発生したが、気合いを入れて買い求めたものが、帰宅した時に手元にない、という事の不甲斐無さが悔しい。
本は「泰治が歩く」というタイトルで、原田泰治のお父さん・武雄氏が著者である。
旅行後に紐解いてみると、原田家の波瀾万丈の物語にひきこまれ、一気に読み終えた。
諏訪市の看板屋だった武雄氏は、戦争で仕事が減り、田舎で農業に転ずることを決意。
同じころ泰治が小児麻痺になり、立って歩けなくなる。
世話をしていた妻は、心労の故か亡くなり、武雄氏は足に障害を持つ女性を後妻に迎え、
彼らの、農村社会との葛藤、戦後の混乱、子育ての苦労が展開する。
序盤は、特に戦争が庶民に課した苦労が率直に描かれ、
夏休み中に流行った反戦ドラマの題材としても悪くないし、
小児麻痺の泰治を、普通の子と同じように遠足や修学旅行に行かせようとする子煩悩ぶりは、
社会に難病患者への思いやりを訴求するメッセージがある。
また、武雄氏が逆境に遭遇する度、どのように思考し、どのように行動したか、
自叙伝だけに、その心の襞まで手に取るように解るし、
泰治が成長するにつれ、進路を選択し、恋人ができて、といったプロセスは、
等身大の淡々とした描写の中に、成功する人物像がくっきりと浮彫りとなる。
NHK朝の連ドラの題材としてもOKだ。
本は講談社文庫なので、インターネット通販でも手軽に入手できるし、泰治の挿絵がふんだんに入っている点でも、
夏休みお薦めの一書である。
早くも想定外の脱線に敢えて踏み込んだが、風林火山紀行に、ともかくもエンジンがかかり始めた。
(つづく)
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