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平成十九年八月十三日
(Last updated : 2007.9.9)
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Tour
18切符2007夏〜














(7)


焦る気持ちとは裏腹に、高速に乗ったAZワゴンの足取りは重かった。 それもそのはず、 中央自動車道諏訪ICの標高は約760m、そこから約25km先の小淵沢IC標高は920mなので、 均(なら)して考えても160mの登り勾配なのである。

かくて小渕沢ICを650円支払って降りた時、既に17時は過ぎ、万事は休していた。 そこで、はスキップして、その後に予定していた信玄棒道(ぼうみち)の観光のため、 JR小海線甲斐小泉駅を目指すことにした。 小渕沢ICから、甲斐小泉駅方面への標識もあり、八ヶ岳高原ラインという清楚な林道を走る単純なコースだった。

信玄棒道とは、武田信玄が甲州から信州を結んで拓いた道で、 信濃攻略のため進軍や物資輸送に利用されたと伝えられる。 八ヶ岳の麓を棒のようにまっすぐに抜けているので棒道と呼ばれ、上・中・下3本の道があったといわれる。

以前、ながの観光コンベンションビューローに資料請求して届いた観光パンフレットには、 「信玄が新らしく開削し、真の意味で棒道と呼べるのは、上の道のみです」とある。 根拠がよく分らないが、中も下も長野県にあるのに、これのみが本物とする上の棒道とは、 小淵沢の西北、長野県富士見町の鉢巻道路のあたりを指しているのだろうか。

しかしホームページで色々調べてみると、山梨県の甲斐小泉駅の周辺にも上の棒道は残っており、 しかも、いつの時代のものか不明だが、道しるべとして、観音石仏が等間隔に並んでいるという。 高校の社会科の先生のものと思われる手書きの地図もパソコンにダウンロードしておいた。

つまり、長野県のパンフの説明が、私をして山梨県の棒道へ走らせているのである。

まもなく小荒間(こあらま)という、ロッテ「コアラのマーチ」が漢字で書くとこうなるのか、と思うような分岐点があり、 ここが標高1,271m、右折し高原を下ると、甲斐小泉駅に至るとともに、途中、館を通過するようである。

そして17時17分。悔しいけど、日が暮れる前に外から撮れる写真だけでも、と駐車場へ入ると、係員が普通に誘導するので、

隅櫓 「5時を過ぎたので入場できないのでは」

と聞くと、「今日は夜21時まで入場できます」との返答。ホームページには夜の部の案内はなく、 メールで19時から夜の部と聞いていただけなので、途中、締め出されるものと勝手に思い込んでいたが、 考えてもみれば、はるばるこんな高原まで来た客を、 17:30から19:00まで、外に追いやるような手間をわざわざ取る必要もないわけである。

冠木門 偶然、目的地へ向かう道の途上にあったから良かったが、一歩間違えれば、大きな後悔に繋がる誤判断であった。

それはともかく、300円の入場料を支払い、土産店が軒を連ねる長屋の前を歩くと、ちょうど隅櫓が夕日に怪しく輝いて、撮影時であった。 続いて冠木門をくぐると、土橋(どばし)の先に躑躅が埼館(つつじがさきやかた)の大手門が見えてくる。両脇に二階櫓が聳え立つ。 大手門 (大手門は、光線の関係か、人の往来を嫌ってか、表の真正面から撮影した写真がなかった。 その代わり、内側から写したものがある。)

施設の広さは、約19千u(5千坪強)。床面積は、772u(234坪)。 時代考証に基づき武田三代の居館を再現した、という触れ込みである。 標高約1,200m

敷地内には、右手に御番所、左手に。御番所の中は、ちょうど西日が鋭角に入ってきて、囲炉裏の部分だけ輝き、 これも独特の趣がある。が、この建物自体は、中世の庶民の住まいを表しているような印象を得、番所らしさを把握するに至らなかった。

大手門〜内側から 御番所

正面奥の主殿は、ドラマでも武田家の重臣たちがしばしば集う館の本体である。 今は夜の部のコンサートの準備のため、スタッフが太鼓を据えたり、スピーカーのコードを張ったりしている。 中に、中高生くらいの少女が二人、Tシャツを着て、作業に参加、といっても、チンタラ見物半分みたいに。

御番所の囲炉裏 今日のコンサートは、北杜市の自前の企画のようなので、おそらく地元の高校生のロックバンドみたいなのが出てきて、 その追っかけというか、要は、ややヤンキーな娘たちが手伝っているのだろう、という解釈をした。 つまり、その夜のコンサート自体は、私的に期待していなかった。

厩 さて、主殿の屋根を見ると、 上部においては切妻造り(正面から見て前後二方向に勾配)、下部においては寄棟造り(四方へ勾配)を持つ、いわゆる入母屋造りを基調とするが、 更に一層の切妻造りを直角に乗せ、正面に見せる千鳥破風(はふ)の下方の屋根に丸い膨らみを施し、神社によく見られる唐(から)破風も組み込んでいる。 このようなゴチャゴチャした造りは、明治の建築には如何にもありそうだが、武田氏の屋形が、史実として、このような造りであったかというと、やや疑問を感じる。 しかし、私は建築史の専門家ではないので、単なる思いすごしかもしれない。

主殿 主殿の屋根

花菱 注目すべきは、垂れ幕の家紋である。三菱の菱形が四つ整然と並ぶ、いわゆる武田菱ではなく、花菱である。 北杜市の関係者は、正式の武田菱は花菱だと確信しており、よく見ると、主殿の柱にも、釘をおおうカバーとして花菱を使用している。

風呂 主殿の向かって左手、塀重門をくぐって、隅櫓のある広い郭に出ると、風呂場のような建物がある。 しかし、これはパンフレットでも解説が省略されている。

的場 反対側の塀際に的場があり、この広い郭は、弓の練習場であった事を示唆する。 確かに、弓の練習は、ドラマでは、武田家の父子の葛藤の舞台であったり、重要なシーンとして用いられるが、 こうしてセット全体を見渡してみると、実際の屋形よりも大幅に手狭であり、 撮影に必要なレイアウトだけを追求しているのが実態であろう。

ベニヤの板張り ここで、地元の郷土史研究会の方と思われる観光ボランティアの説明を聞いている一団に合流。 的場は、表から見ると土をしっかり固めたもののように見えるが、実はべニア板に塗色しただけのもののようで、 隙間から入って裏側を覗くと化けの皮が剥がれる。促されて一人二人、覗いてみてニヤニヤしていた。

ベニヤの白壁 このようなセットならではの見かけ倒しは、仔細に観察すると至る所に見られるのである。 まず、主殿の板張りの廊下は、実は、ベニア板を張って、下を安物の角材で補強しているのである。 敷地を囲む白壁も、漆喰ではなく、ベニア板を白く塗色したものに過ぎないので、 ところどころ壊れて穴が開いている。

極めつけは、主殿の向かって右手、唐門の向こうに見える建物。 唐門の向こうは駐車場だが、撮影上、館の外に別の建物が建っているように見えた方が、 生活空間としてのリアリティが得られるわけである。

唐門の向こうの建物 唐門の向こうの建物の正体
しかし、門を出てみると、屋形から見えない足元部分は、写真のような有様である。

二階櫓1 二階櫓2 さて、私は、観光ボランティアの終わりのない駄弁を、他の家族連れなどと一緒に相槌を打ちながら聞いたり、 時に話を遮って質問したり、また、集団から離れて、二階櫓をしつこく撮影したり (なぜ二階櫓にこだわったのか、今の私にも分らない)、 ともかく、急に転がり込んできた、日没までたっぶりある時間を満喫していたが、 ふと信玄棒道の探索が置き去りになっている事を思い出した。 時に18時5分!この日の甲斐小泉の日没は18:40である。

長屋

とにかく急ごう。大手門を飛び出た私の目に、長屋の姿が飛び込んだ。 そこは展示室のようだが、21時まで営業しているなら、夜くらくなってからでも構わない。

標高1,040mの甲斐小泉駅までの下り道は、道沿いに別荘、ペンションなどが散在し、 カレー屋、お好み焼屋などの店も営業していたので、あとで久々に外食しようという心境になった。

今下っている道が、そもそも棒道かもしれない。 駅に着く少し前に、三分の一湧水館という施設があり、棒道は、その辺りを走っているはずであった。 そこで、湧水館の駐車場に車を停め、ノートパソコンに保存した地図を確認しようとしたところ、 電源切れ。しかし、シガーライターから電源を取る装置につないで、アイドリングをすると復旧した。 これが徒歩の旅なら一巻の終わりだった。

研究者の手書きの地図を頼りに、とうとう目印の観音様を見つけ、いよいよ棒道!と気負いたったが、 まもなく道は二手に分岐する。まずは、片方を走ったが、それ以上に観音石仏は見つからないし、 そもそも別荘地用に新たに造成した道であることは明らかだったので、 引き返してもう一方の道を走りなおす。 こちらは、水田と林の間を走る古くからの道だと思ったが、 棒道とはかけ離れた曲がりくねった道だし、観音石仏はないし、やがて同じように別荘地の道のようになった。

観音石仏 日暮れまで僅かの時間しか残っておらず、焦りまくった私は、とある家に老母と息子がいたのを見て、 車をとめ、車の中から棒道のことを尋ねた。 老母は親切に応対したが、話の内容が見えておらず要領を得ないので、 見かねた息子が話に入ってきた。しかし、わかったのは、今いる道が棒道ではない、という事だけであり、 本当の棒道については、彼らもはっきりした事は知らなさそうである。 特に、等間隔で観音石仏が立っている事は、初耳のようであった。

観音地蔵 わからぬなら分らぬではっきりしてくれればよいのだが、彼らにも地元の面子があり、 要領を得ない話が中々打ちきれない。とうとう18時半を過ぎた。 私は諦め半分で、もう少し周辺をウロウロし、ついに最初に見つけた観音石仏を撮影したところで撤収する事にした。

惨敗とはこの事である。自動車で道を探すのは、時間だけでなくガソリンもロスするので、二重に苦い。 しかし私は気を取り直し、引き返して、途中のお好み焼屋へ行く事にした。18時53分

お好み焼き屋は、小母さんの趣味範囲で営業しているような雰囲気で、 客が来る気配はなく、私の注文によってテレビ番組が見られなくなるのを迷惑がっている風であった。 関西風、広島風、八ヶ岳風とあるので、 「八ヶ岳風って、どんなんですか」 と聞くと、 「はい、八ヶ岳風ですね」 と、勘定書に書いて引き揚げた。人の云う事にロクに耳を貸す手間も惜しいようである。

待っている間、雑誌が置いてあり、手に取ると、この辺を取材した「るるぶ」のような雑誌で、 この店の事も載っていた。ふーん、と感心したが、 相変わらず小母さんの取りかかりが遅いようで心配である。 厨房の隅の方に隠れているので、座ったテーブルから姿が確認できぬが。

20時からのコンサートが始まる20分前にはに戻りたい。 今、19時になるかならないかの時間だから、まず問題はないはずだ。 食べるのは5分とかかるまい。問題は、できあがるまでの時間である。 お好み焼きは、いわゆるスローフードである。 注文を受けて作り始めるし、キャベツの水気を巧く処理するには、 鉄板の熱量ではなく、時間をかけて材料を加熱する事が大事なのではないか。

お好み焼きの調理の理論を学んだ事はないが、 食べるまで待つ、過去の経験のパターンから、そう理解している。

それはよいが、何しろ私の前に料理を待っている客はないのだから、 どうゆっくり調理しても、30分待たされる事は有り得ないはずである。

そこまで計算して店に入ったのであるが、 小母さんのやる気のなさに、不安が高じたものである。 が、それは取り越し苦労であって、間もなく八ヶ岳風がやってきた。

具は、山菜竹輪だと云う。735円。 本日の主要な栄養源として期待していただけに、予想外の低カロリーに焦った。 しかし、食べてみると、キノコほかの山菜は、ボリューム感があり、 何より、小麦粉を溶いた水に、しっかり昆布などの出汁が利いているようであった。 予想外の満足を得て、店を出ると、屋外はもう真っ暗である。 高原の林の中、照明のないエコな世界。

入口近くの長屋で、八ヶ岳チーズケーキ工房の製品などのお土産を買って、 再び大手門をくぐったのは19時40分

夜の大手門

コンサートの用意はできている。並べられた椅子に座っている人は、 一時間以上、そうして待っているのだろう。 更に立ち見客も大勢ある。 主殿が幻のように浮かび、太鼓が映える。

正確な解説書が手元にないので、ファジーな紹介しかできない。 本日のコンサートの中心人物は、篠笛(しのぶえ)の第一人者のようである。 篠笛と太鼓の組み合わせによるバンド演奏で、海外公演も経験がある。 かつて大河ドラマの主題歌やBGMも担当したことがあるくらいの有名人だ。 最近は還暦も過ぎて、山梨県で有志を子分にしてバンド活動を行っているようだ。

見ると、脇の方に、先ほど準備作業に参加していたヤンキーな娘二人が浴衣を着て立っている。 20時、司会が口火を切ると、まずはその二人が中央に出てきて、 いきなり、三味線、これは琉球三味線かと思うが、を演奏する事になった。

開演前

ところが、コンビの片割れは、始まるや否や、演奏を中断して、きょろきょろ辺りを見回している。 やがて誰かに頷いて、三味線の調律を始めた。 この一連の流れが、何とも素人っぽく、予想通り、今夜は地元住民の学芸発表会の類であるな、 と溜息をついた。

が、調律が終わって再開すると、意外や調子よく演奏が進み、 高原の夜空に響き渡る三味線の生演奏は、私の疲れた体を大いに揺さぶってくれた。 この様子は、IXYの動画があるので、皆さんにも紹介する事が可能だが、 著作権に抵触すると思うので、面倒な事はやめておく。

あとでリーダは、 ヤンキー娘が高校生と中学生の姉妹である事を紹介し、 中学生の妹は、人前で演奏する経験がほとんど無かったにも関わらず、 大勢の注目の前で落ち着いて三味線を調律して立ち直った事を称賛した。

夜の高原の湿気は、太鼓の寿命を縮める恐れがあるそうだが、 それでも今日この日のためにドデカイ太鼓まで出動してくれている。 その意気に、しっかり耳を澄まして聴こうと思った。 海外公演で、太鼓や笛をMexicanにアレンジする試みもあったようで、 そういった過去の作品も総めくりで聴くことができたのである。

が、バンド演奏は、正直、大きな感動はなかった。 異なるジャンルのコラボ、というのは、 一瞬ざんしんな印象を与えるが、 例えば邦楽の達人と、メクシカンの専門家を、二人同時に感動させられるか、 もしくは、そのどちらからも、チンケな作品として切り捨てられるか、 そのどちらであろうか、と考えてしまう。 況や、三つも四つもチャンポンにして、よい作品に仕上げるには、 それぞれの文化や音楽を、相当深く掘り下げるワークを経ないと、 成功は覚束ないのではないか、 それが、人生を年数だけはそれなりに経た者としての物の見方である。

私は、毛利元就という素材を、小説にしてみようとも思い、専門的な研究対象にしよう、 とも思い、また、今こうして書いている紀行文にも、新たなジャンルを確立したいとか、 いろいろな事は試してみたが、 アマチュアに与えられた限界的な時間枠の中では、所詮、 試してみるだけみて、いわばビギナーズ・ラック的な、 一瞬の新鮮な感動を自己満足的に楽しんでいるのが関の山なのである。

この篠笛奏者のエネルギッシュなワークも、 漆黒の宇宙の中で、同じような一人遊びに留まっていないか、という疑念である。

いや、ダビンチ的全知全能は、むしろ異常である。 しかし、鑑賞する立場としては、腹をくくって一点を極める作業の方により感動する傾向は否めない。 これは、DRALION に対して抱いた感想と同じものである。

さて、20時半すぎ、コンサートから離れた私は、長屋の展示を見ることにする。 ドラマの撮影に使用された、鎧や摩利支天のペンダント、撮影風景、出演者のプロファイルのパネルなど、 興味深いものが無造作に陳列されている。

私は、と、あるものに目にとめて、あっと叫んだ。それは、上の棒道の地図であった。 学校の先生の手書きと違って、車道など現代の構築物との位置関係が解るように書いてあるので、 あー、ここだったのか!である。つまり、さんざ迷った二つの車道に挟まれた林の中に、 観音石仏を伴った棒道は潜んでいたようである。

詳しく予習したければ、北杜市長坂町の長坂郷土資料館が、《ながさか、もっと知りたい ! ! BOOKLET》シリーズと称して、 「棒道の本」を一部200円で販売している、これを入手すればよかったのだ。

いずれにせよ、棒道というからには、不自然なまでに真っすぐでなければならず、 しかも、舗装されないまま、中世の情緒を残して林の中を走るものでなければならない。 そういう条件を備えた棒道は、見つけるのが相当困難になってきているようだ。

さて、私は土産店で、あの紺地に金文字の、孫子の旗を買った。 サイズが少し大きめで、1,000円。旗を立てる台がついているのを見て、これだ、と思った。 これは、今、自宅の液晶37型テレビの脇に立てており、クーラーを入れると力強くはためく。 現在、NHK大河ドラマのハイビジョン放送と、ライアーゲームの後の「ライフ」というドラマの録画が、 家族そろって見れる数少ない番組であり、テレビの外で、はたはたとはためく孫氏の旗は、 映像に立体的な効果を添えるものである。

また、という48ページの図録、定価500円のところ300円で購入。 もっとも、ドラマ終了まで300円で販売は続けられるであろう。 内容は初心者向けだが、いろいろな事が簡潔明瞭にまとめられ、カラー写真も豊富なので、 割安な図録だともっぱらの評判である。

さて「入館者30万人突破」の横断幕を横目に、20時53分、駐車場を去り、 一路、韮崎へ。

車は、釜無川ぞいの国道ではなく、塩川釜無川に挟まれた七里岩という標高480m弱の台地を目指し、 交通のほとんどない車道を、下り方向に気分よく快走した。

七里岩から韮崎市街へは、急坂をストンと下って到着、ビジネスホテルにチェックインすると、 別館の、バス・トイレのない部屋を宛がわれたが、その分、部屋が広くて快適だった。 大浴場は本館にあり、さっと入って戻ると、後は寝るだけである。 車がメインの旅なので、着替えは多めに持参、初日からコインランドリーへ走る必要もない。

かくて充実の初日を終えた。翌日は、どんなトラブル、いやトラヴェルが待ち受けているやら。 それは次回のお楽しみ! (つづく)

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